北国の夏は短い。
だからこそ、人々は競う様に屋外へ出て、しばしの自由を満喫する。
そんなアイシクルエリアのとある町で、週末を利用した大々的な蚤の市が開催されていた。
冬ごもりの間に作られたのだろうハンドメイドの家具や雑貨、古着や古本、今が盛りの花卉や植え付け時期の植物の苗、食べ歩きに適した軽食や飲み物まで、実に様々な種類の出店が揃っている。
当然、客の方もかなりの人出だ。老若男女が笑いさざめくその人混みの中に、赤いマントを纏う黒髪の男の姿があった。
ヴィンセント・ヴァレンタイン――騒がしさを好まない性質の彼が、この地域を訪れていたのは偶然だった。
だが、マーケットが開かれることを知り珍しくも足を伸ばしたのは、彼自身の意思だ。
その理由は『開店祝いを見繕うため』である。
”星を救う”あの旅を終えてから一人で世界を放浪する道を選び、連絡手段というものを持たずにいたヴィンセントは、先日偶然会ったシドから、ティファがかつて念願だと話していたバー『セブンスヘブン』を既に開いていたことを知った。
そして開店にあたって、他の仲間たちがそれぞれ何かしらの祝いの品を贈っていたことも耳にしたのだ。
開店をそもそも知らなかったヴィンセントに、ティファは気にするなと言うだろう。
だがヴィンセントの方がそれを良しとはしない。
エッジのセブンスヘブンをヴィンセントは知らないが、ティファがあの旅の間支え続けていたパーティの食事時間の温かさを思えば、店主の人柄を象徴する居心地の良い店になるのだろうと思う。
仲間の門出を祝うという気持ち以上に、その場所が長く続いてほしいという思いを形にして贈りたいと、ヴィンセントは考えたのだ。
赤いマントがふらふらと人混みを縫っていく。不思議と、その目立つ風体を見咎められることも、人にぶつかられることもない。
マーケットは商品の種類によってある程度区分けがされており、どうやら古い雑貨や骨董の類のエリアへ入り込んだようだった。開店祝いという用途ははっきりしていても、肝心の何を選ぶべきかはまったく思いつかないまま、ヴィンセントは店先を眺め歩く。
古いものだが美しい陶器の飾り皿を並べた店の前で、ヴィンセントはふと立ち止まった。目を惹いたのは皿ではなく、奥にひっそりと置いてあったグラスだ。木箱に納められた二客セットのフルートグラスは艶やかな曲線がシンプルで美しく、ティファにはよく似合うだろうと思った。
だが、ウィスキーやカクテルがメインのセブンスヘブンでは、あまり出番がないかもしれない。それに二客では使いづらい気もする。
ヴィンセントが店先で考え込んでいたのは少しの間だったが、人の気配に気付いた店主が顔を上げ、話しかけてきた。
「もしや、贈り物かね?」
販売業の慧眼とでもいうべきか、老年の店主はヴィンセントの目的を見事に言い当てた。
ヴィンセントは首肯する。
「ああ。バーを開店した友人への祝いの品を、探している」
「ふーむ。なかなかお目が高いぞ、兄さん。どれ、ちょいと値引きしてやろうか」
「……いや。このタイプのグラスはあまり使わなさそうだと思っていたところでな」
微かに首を振ってそう答えるヴィンセントを、店主はなぜか真面目な顔でじっと眺めた。
「……もし良ければだが、オールドファッション――ロックグラスのセットがある。見てみるかね?」
問いかけておいて返事も聞かず、店主はごそごそと自分の座っていた後ろの荷を漁り始めた。
出てきたのはやはり重厚な、蝶番の付いた木箱だ。先ほど見ていたものよりも大きい。
手招きされ、ヴィンセントはその箱へと近寄った。店主が慎重な手つきで箱を開ける。
「どうだね」
ヴィンセントは目を瞠った。
中に納められていたのは五客揃いのロックグラスだった。一目でその上等さがわかる透き通ったガラスには、それぞれ違う凝った美しいカットが施されている。
店主が中から一つを取り上げ、差し出してくる。ヴィンセントは埃を払った右手でそれを注意深く受け取ると、光に透かし、重さと感触を確かめた。
全く申し分ない逸品だ。メテオの混乱期を経てこういった品々は多くが失われ、新たな供給も数少ない。
その貴重な一揃いとなれば、今ではかなりの高値が付くはずだった。
ヴィンセントにとって予算自体はあってないようなものだが、さすがに今これが払えるほどの現金の持ち合わせはない。
そう伝えると、ヴィンセントの反応を見ていた店主は言いにくそうに口を開いた。
「あんた、旅のハンターだろう。マテリアを……持っていないかね」
世に広く流通していた人工マテリア技術は神羅のものだった。その神羅が潰えた影響を受け流通が激減したマテリアは今や、以前に比べると目を疑うような高値で取引されている。
「物による」
「『ちりょう』だ。『かいふく』でもいい。孫が……流行り病にかかってね」
「……魔法で病は治せまい」
店主はヴィンセントを見た。哀しみに淀んだ目だった。
「そもそも、治った前例がないそうだ。不治の病さ」
「……そんなものが、流行っているのか?」
「身体から黒い膿が出て、ひどい痛みに苦しみながら死ぬのさ。原因も不明でね。星を滅ぼしかけた罰だなんて言うやつもいるが……もしそうなら私ら大人が罹るべきだろう。どうして、罪もない子供が……」
唇を噛み、店主は俯いた。初めて聞く症例にヴィンセントは眉根を寄せる。
そしてマテリアの用途も知れた。エスナやケアルは鎮痛効果に重きをおいてかけることもできるのだ。
ヴィンセントはバングルを確認し、緑色のマテリアを取り外した。俯いたままの店主にそれを差し出す。
「いいのかい……?! 旅の人にとっちゃ生命線だろう」
「分裂したところだ。予備はある」
「ああ……!」
『かいふく』のマスターマテリアを震える手で受け取り、店主が安堵に咽ぶ。
「なんてこった、マスターレベルじゃないか。お代を貰いすぎだ」
「気にしなくていい。そういう巡り合わせだったのだろう」
ヴィンセントが静かにそう言うと、店主は祈るように一度頭を下げてから、グラスのセットを持ち運びに耐えるよう丁寧に梱包し直し始めた。
「あんたが最初に見ていたグラスもつけてやろうかね」
「……これ以上無事に持って帰れる自信がない。遠慮しておく」
「それは残念だ。うちは食器屋なんでね、他の皿も同じか……。ああそうだ」
店主は荷の中からラベルの貼られた長方形の薄い木箱を取り出し、ヴィンセントに差し出した。
「これならどうだね。皿ほどは邪魔にならんだろう」
「――葉巻、か?」
「あんたは喫わなさそうだがね。これの一本で便宜を図ってくれる奴はどこにでもいるもんさ」
「……いいのか」
ヴィンセントがそう聞いたのは、この店主が喫煙者であり、この葉巻が自分用のとっておきだっただろうことに感づいたからだ。恐らくこのマーケットで手に入れたのではないだろうか。
だが店主は晴れ晴れとした笑顔で、それをヴィンセントへ押し付けるように手渡した。
「もちろんだ。あんたの言を借りるならこれも”巡り合わせ”だろう。――実は掘り出し物を思わず買っちまったんだが、煙草はもうやめろって家族に再三言われててな」
ヴィンセントは手の中の木箱に目を落とし、自分へ返ってきたその言葉の意味を考えた。
引き換えにされたグラスとマテリアが、それぞれ必要とされる場所へ落ち着くために、この葉巻もまた必要な一手なのだと、まるで何かが告げているようだった。
「ありがたく、受け取っておく」
「お礼を言うのはこっちだ! さあできた。できる限り大事に詰めたが、放り投げたりはしないでくれよ!」
常に最低限の荷袋へ葉巻の箱をしまい込んだヴィンセントへ、店主が笑顔で声をかけた。
厳重に縛られたグラスの木箱のあちこちを確かめ、ガントレットと黒手袋の腕がそれを丁重に抱え上げる。
この中身を壊さずにエッジまで運ぶ方法を、ヴィンセントはいくつか考えては悩んでいた。だが想定外の”巡り合わせ”によって、最も速く、しかも安全で楽な選択肢が生まれたことに気がついたのだった。
向かう先は連絡船――そしてロケット村だ。
木箱を大事に抱え、ヴィンセントは店を後にした。
遠ざかっていく赤いマントの後ろ姿に、店主はいつまでも頭を下げていた
