「あいつは実際、上手くやったよ」
シドは唸るような声で呟いた。食卓に両肘を突き、組んだ手で祈るように俯いた額を支えている。その表情は見えない。
シエラは片付けの手を止め、夫の正面に座りなおした。
「……ヴィンセントのことね?」
「ああ」
数か月が経ってようやく、シドは自らの悲しみを直視しようとしている。ならばそれを傍で支えるのが自分の役目なのだと、シエラはよく知っていた。
先だって、世界中で発生したモンスターの大量発生。
WROに加え、旧神羅の流れを汲む傭兵たち、そしてシドを含むかつての英雄たち。まさに人々は一丸となって、その脅威に立ち向かった。
だが人々がどれほど死力を尽くしても。指の間から砂が零れ落ちるように、数多くの死者が出た。そしてその中には、英雄と呼ばれた者たちの一人、ヴィンセント・ヴァレンタインが含まれていた。
彼は民間人の避難地域を守るため防衛戦に身を投じた。――そして、帰還は叶わなかった。
シエラの夫、シド・ハイウインドは、ヴィンセントとは親友と呼べる仲だった。
目の前で彼を失っても、当時のシドに悲嘆に暮れる時間は許されなかった。大本の原因が取り除かれても、まだスタンピードは終わっていなかった。そしてシドもまた、英雄と呼ばれる者の一人だったからだ。
「あいつがよ……カオスが消えて、自分の身体がさほど保たねぇってわかったときに。あいつが一番心配してたの、何だったと思う。自分の死体の、始末方法さ」
「……それは」
シエラは思わず唇を引き結ぶ。
ヴィンセントがモンスターの因子を移植された人外の身体であったことは、公には記されていない。だが必要な際にはヴィンセント自身がその力の使用をためらわなかったために、目撃者は世間に多く存在した。
「散々他人にいじくり回された身体を抱えて、あいつが嫌がってたのはさらにいじくり回されることじゃなかった。自分のデータを元に新たな被害者が作られること、それだけを恐れてた。だから」
「あなたが、頼まれていたのね?」
「そうだ。死んだら骨も残さずすぐ燃やせって、ヴィンセントに言われてた。……俺だけが」
はあ、とシドは沈鬱なため息をついた。
「たとえもう死んでたとしてもよ、キッツイよなぁ……。あいつが不死じゃなくなったのはいいことだ。でも俺より先に死んでほしくはなかった。正直、ずっとそう思ってた」
「……でもあなたは、投げ出さないわ」
「ッたりめぇだろ。頼まれたのは俺だけだ。もし本当にそうなったら、あいつの親友だってプライドに賭けてやり通してやる。そのつもりだった」
つもりだった、のだ。そして引き換えにシドが約束させた通り、ヴィンセントはシドの目の前で死んだ。だが、シドが恐れたその瞬間は来なかった。
「あいつは上手くやったよ。まさかこの期に及んであんな隠し玉を持ってたたぁな」
「隠し玉?」
「ケルベロス。あいつが持ってたトリプルリボルバー、あっただろ」
英雄ヴィンセント・ヴァレンタインの代名詞とも言える武器だ。もちろんシエラはそれを知っていた。なんなら、この食卓でヴィンセント本人が解体整備しているのを目の前で見たことさえある。
「どういう理屈だったのかわからねぇが、ありゃあ名前の通りの生き物だったんだ」
「名前の通りっていうと、神話かしら」
「おお。首が三つある《地獄の番犬》さ。実際のところだとドーベルマンあたりが近かったかな。この家の倍くれえデカかったが」
「見たの?」
「おお、見た見た。最初は、俺様の知らねえ召喚マテリアだと思ったんだ」
シドが飛空艇で駆けつけたとき、眼下の防衛戦は終わりかけていた。シドが見たのは、残ったモンスターの群れを蹂躙していた巨大な三つ首の黒犬と、その後方で崩れ掛けた噴水の石組みに凭れるヴィンセントの姿だ。
ヴィンセントは腹の辺りが血まみれで、地面は真っ赤に染まっていた。
飛空艇を下ろせるような場所がなかったから、シドはクルーの制止など聞かず、空挺部隊の数人を率いて身一つの降下作戦を決行したのだ。
「なんとか地面に降りれた頃にはよ、モンスターはいなくなってた。黒犬がヴィンセントに寄って行って、普通の犬みてぇに首を擦り寄せてな。ヴィンセントがゆっくり右腕を上げて、その顔を撫でたのが見えた。俺はちょっと安心したんだよ。あの犬が何かはわからんが、たぶんヴィンセントが召喚したんだろうって思ったからな。そうしたら」
ヴィンセントの腕が力を失い、ぱたりと落ちた。そこからは一瞬だった。
黒犬はその巨大な咢を開き、ヴィンセントを呑み込んだのだ。
そして、ライフストリームの緑色の光だけを残して全てが消えた。
シドたちは茫然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
「飛空艇から観測してたやつらがぎゃんぎゃん通信してきてよ、それで立ち直って、慌てて見に行った。ヴィンセントがいたところには血だまりしかなかった。それと、ケルベロスだ。特に傷もなさそうだったが、拾おうとしたらやっぱりライフストリームになって消えちまってな。残ったのは尻尾のこれだけだ」
シドの、わずかに震える掌に握られていたのは、三つ首の犬を意匠化した十字のアクセサリだった。ケルベロスのグリップにつけられていたものだ。
「結局、俺は何もしてやれなかったんだ。ヴィンセントを助けてやることも、看取ってやることも」
自分の死体の始末という本来ならば不可能な仕事さえ、彼は自分一人でやり遂げてしまった。恐らく、それがシドにとって辛い仕事だとわかっていたからだ。
「やらせたくねぇなら最初から頼むなってんだ。まったくよぉ……」
ぽたりと、食卓に雫が落ちた。
