『一度艇を降りて、自分の戦う理由を確かめて欲しい』
そんなことを言い出したのはもちろんクラウドだった。
自らのみならず星の命をも賭けることとなる決戦を前に、仲間たちは一人、また一人と各地で艇を降りていった。それぞれの大切な、故郷や家族のもとへと。
あの滝の洞窟へ向かうかと問われたヴィンセントは首を振り、人気のない海辺でひとり、艇を降りた。
知る土地ではなかった。海に向かって切り立つ岩山のような岬があるだけの、険しい場所だ。深まる宵闇のなか、ヴィンセントは獣道すらない崖を駆け上る。飛空艇から見当をつけた通り、岬の先端からは遮るものなく海と空とが見渡せた。
浅い弧を描く、黒々とした水平線。その向こうの夜空は明るく、ヴィンセントの視力を以てしても星は薄らとしか見えなかった。もうかなり大きくなった凶星が、夜空の一画を赤く染めているためだ。
吹く風は意外にも穏やかであったが、ヴィンセントは潮を懸念して、携えた長銃をマントの端にくるみ込んだ。あの滝の洞窟へと向かわない理由が、そこにあった。
彼女が遺したそれは、ヴィンセントがかつてニブルヘイムで使っていた長銃によく似ていた。まるで扱い慣れたもののように手に馴染んだが、使い込むほどに強くなる悍ましい死の気配は、これが、ただの銃器ではありえないことを告げていた。
星の敵を、セフィロスを殺すための武器だった。
他ならぬ彼女がそれを寄越してきたという事実の重さと、込められた決意を、ヴィンセントはわかっているつもりだ。
だから銃を受け取ったとき、ヴィンセントもまた心を決めた。『戦う理由』を、ヴィンセントは既に確かめ終えていた。もう迷うことはない。――この先に何があろうとも。
ざり、と背後で岩場を踏む音がした。たったの一歩分、存在を知らしめるための足音が。
「何を見ている」
「……星を」
予感はあった。だが現実的ではないと思っていた。
振り向かずともわかる重苦しい存在感。ヴィンセントの背後に現れた闇はその足音とともに人の形をとり、尊大な口ぶりで低い声を発した。
「名残を惜しむか」
「……そうだな。我々と君のどちらが残るとしても、もう見られなくなる光景だろう。――セフィロス」
ゆったりと数歩を歩いてヴィンセントを追い越した銀髪の偉丈夫は、岬のほぼ先端で立ち止まると身体ごと振り返った。海を背に、戦う気はないとでも示すように。
セフィロス。ルクレツィアが追い求めた子。ニブルヘイムを焼き、エアリスを殺した男。厄災の力を以て星を滅ぼさんとするもの。彼をあらわすさまざまな言葉がヴィンセントの脳裏をよぎるものの、ヴィンセント自身の心もまた、不思議なほどに凪いでいた。決戦は明日、北の果ての地の底にあるのだと、なぜか互いにわかっていた。
彼をこれほど間近に、落ち着いて目にしたのは初めてだった。淡い赤光に照らされたセフィロスの顔貌は彫刻のように精悍で美しかったが、そこにルクレツィアの面影は感じられない。ヴィンセントの主観では、彼は両親のどちらとも似ていなかった。そもそもこのセフィロスを見て、親の片方がウータイ系だと看破する者などいないはずだ。
容貌、体格、才能、カリスマ。かき集めたあらゆる理想をそのまま投影したかのようなセフィロスの姿は、まるで最初からそう設計されたかのように完璧だった。ヴィンセントの知る限りあの時代にそんな技術はなかったのだから、おそらくはジェノバの成したことだろう。子が両親から半分ずつ受け継ぐはずの生命の設計図を、ジェノバは書き換えた――セフィロスが、自らの器に相応しい完璧な肉体となるように。
人から生まれ、人の中で育てられながら、彼は間違いなく最初から異質の存在だった。
他の誰も、彼を人の側へ留めておくことはできなかったのだ。
そうしてセフィロスは人間を見限り、捨てた。ジェノバだけが同族だと彼が言い張る理由の一端を、ヴィンセントはそこに垣間見た気がした。
「……君はどうして、ここへ?」
「お前こそ。星の最期を前に仲間割れでも起こしたか」
嘲るような言葉だが、セフィロスの声音は穏やかだった。
動向を把握されていることにヴィンセントは一瞬驚いたものの、当のクラウドが体内に持つジェノバ細胞ゆえだろうとすぐに思い当たる。つくづくスパイに縁のあるパーティだ。
「思い残しのないように、という計らいだよ。生きて帰れないかもしれない作戦へ挑むにあたって、最後の自由時間を与えるのはよくあることだろう」
「……星を見ることが、か?」
「別れは先に済ませてきた」
ヴィンセントはセフィロスから目を離さないままホルスターの長銃を指でそっと撫で、もう一度、同じ言葉を口にした。
「君は、どうしてここへ?」
「…………」
セフィロスは無言だった。質問に質問で返すわけでも、無視しているわけでもない。表情はさして動かないが、言い淀んでいるという表現が近いだろうか。
ざっ、と足音が立った。
セフィロスが近づいてくる。ほんの数歩の距離だ。目の前に立った長身の彼を、ヴィンセントは自然と見上げる形になった。
黒革に包まれたセフィロスの手が伸ばされ、ヴィンセントの頤を指先でくいと持ち上げた。
あえて動かないでいると、魔晄の色に光るジェノバの瞳は真剣にヴィンセントの顔を見つめてきた。
「この……眼だ。俺は、お前を……この眼を、いつか間近に見た覚えがある」
ヴィンセントがわずかに目を見開いたのがわかったのだろう。セフィロスはヴィンセントの前髪を片手で除け、さらに顔を近づけて瞳を覗き込む。
「……確かに、私が君と初めて会ったのはもっと昔のことだ。だが」
「何者だ?」
噛みつくような問いに遮られ、ヴィンセントは内心戸惑いながら口を開いた。
ジェノバをもつクラウドと真の古代種たるエアリス以外に、セフィロスが興味をもつ存在があるとは思ってもみなかったのだ。
「私は……ヴィンセント・ヴァレンタイン。かつては神羅製作所・総務部調査課に所属し、ジェノバ・プロジェクトの護衛任務にあたっていた」
「タークス……いや、神羅製作所、だと?」
「そうだ。私が知る君は、生まれたばかりの赤ん坊だった」
観念してヴィンセントがそう告げると、セフィロスはまるで狼狽えたかのように手を放して黙り込んでしまった。しかし視線だけはヴィンセントから離れない。
ヴィンセントとていたたまれない気持ちは同じだった。同じ屋敷に居たのはセフィロスが生まれてからヴィンセントが宝条に撃たれるまでのせいぜい一、二年にも満たない間だ。そんな乳幼児期の記憶など普通は当人に残るはずもなく、かといってそれ以外に心当たりなどない。
あの頃セフィロスは護衛対象であったものの、研究者でもないヴィンセントが近づく機会はそれほどなかった。屋敷の警備中に顔を見に寄り、ごくたまには多少の世話を手伝わされた程度だ。幻覚や譫妄といった体調不良によって隔離されていたルクレツィアへの土産話にと思っての行動だったが、乳幼児の愛らしさは強くヴィンセントの記憶に残っている。
今にして思えば、その記憶があるからこそヴィンセントは、セフィロスをどこか子供のように見ているのかもしれない。セフィロスもまたそう創られた被害者であるとの認識をもつのは、仲間の中でヴィンセントだけだろう。
「しかし年齢が――そうか、お前も宝条の被験体か」
ヴィンセントの姿を思うさま観察し当然の疑問を抱いたのだろうセフィロスは、しかしひとりでに答えへと辿り着いていた。おそらくは各地でのジェノバとの戦いで、ヴィンセントがモンスターの姿へ変じていたことを思い出したのだろう。
セフィロスは実物の感触を確かめるかのようにまたヴィンセントの顔に触れ、疑わしそうに目を細めた。
「不老だというのか。ジェノバの力なしに、あの男がこれほどの研究結果を出していたとはな」
忌々し気な声音とかすかな眉間の皺に、ジェノバではないセフィロスの、あきらかな人間らしさが滲んでいた。
「君も、宝条を嫌うか」
「あれを尊敬できる者など地上にいまい」
思わず問えばいかにも嫌そうな即答が返り、ヴィンセントはついつい苦笑いを浮かべた。
最高傑作と評された当の息子が宝条を嫌う光景は、ヴィンセントに複雑な思いを抱かせた。彼らの親子関係を知らなければごく妥当なところかとも思うし、同じく宝条を嫌うヴィンセントとしては留飲を下げるような思いもある。
だが何より、この話題となるとセフィロスが途端に人間みを出してくるのが少し可笑しかった。ヴィンセントがこれまでに目撃していたセフィロスとは違い、ソルジャーであったころの彼に近いのだろう一面だ。
「――その顔だ」
「……?」
セフィロスが、まるで驚いたように目を見開きヴィンセントを見ていた。
「……覚えている。お前だけが、そんな顔で俺を見た……俺に、笑い掛けていた、のか」
「そんな、はずはない。あの屋敷には君の世話をする女性職員もいたのだから」
「俺を覗き込む他の有象無象は皆同じ目つきをしていた。お前だけが異質だった」
だから覚えている、とセフィロスは呟いた。
彼はどうやら、一番古い記憶としてかすかながらも乳幼児期の光景を覚えているらしい。かわるがわる自分を覗き込んでくるそれらが一体誰なのかはわからなくとも、その中でたった一人だけ笑いかけてくれていた人間のことは印象に残っていたと。それがヴィンセントなのだと彼は言う。
ヴィンセントにしてみれば驚くべき話だ。当時も今もまったくそんな自覚などない。そもそも赤ん坊に笑いかけるのは人間の本能のようなものだ。どこの街中でも、通りすがりの一瞬に乳幼児をあやそうとする人間は多い。
ただ、当時の環境と立場を考えればあり得るかもしれない話ではあった。ジェノバ、ひいてはセフィロスを研究するための人員が集ったあの屋敷で、ヴィンセントはほぼ唯一の科学者でない人間だったのだから。
「……不思議なものだ。今になって、古い記憶の意味がわかろうとはな」
その言葉には、どこか呆然とした響きがあった。
セフィロスの脳裏にどうしてそんな記憶が大事に残っていたのかはわからない。だが彼が人間を見限り、ジェノバとして行動を起こさなければ。ヴィンセントが異形の身体とされても生き延びたあげく、地下室を開けたクラウドたちについていくことを選ばなかったなら。
セフィロスとヴィンセントがこうして敵対しあう関係でなければ、それは星とすべてが滅びるまで意味が証されないままの記憶だったはずだ。
それはセフィロスにとって、人から愛されたという一番最初の記憶だった。
ヴィンセントはたまらず首を振る。
「――セフィロス。それが私だけでなどあるものか。君の……母体となった女性は、本当に心から君を腕に抱きたがっていた。体調を崩して、君から離されていただけで。君はもっと」
「ヴィンセント」
たしなめるように名を呼ばれ、ヴィンセントは口をつぐんだ。
ジェノバだけが母だと決めたセフィロスに、ルクレツィアの話をするつもりはなかったのにと後悔がよぎる。
「――知っているさ」
ぽつりと呟くように、彼は言った。
「俺にも……かつては友もいた。だがそれらすべて、俺の元には結局何も残らなかった。お前や他の誰がもし俺の傍にいたところで同じだったろう。この結末は、変わらない」
セフィロスは夜空を仰ぎ、赤い凶星を見上げた。
そうしてヴィンセントを振り返った彼は、英雄らしい傲然とした圧を取り戻していた。美しい笑みに、びりりと空気が震える。
「俺は地の底で、お前たちを待っている」
「――ああ。私たちは君を殺して、ジェノバを止める」
魔晄の瞳を見据えてヴィンセントがそう答えると、セフィロスは満足そうに笑った。
そしておもむろに片手を伸ばし、指をさすようにとん、とヴィンセントの胸のあたりに触れる。
「ヴィンセント、俺にはわかるぞ。――お前は死ねまい」
「……!」
「その身体にはお前以外に四つの因子があるが、そのうちの一つは星の係累だ。ウェポンのように、たとえ一時的に形を失おうともこの星が在る限り滅びることはない」
それは星を喰らうジェノバの嗅覚なのだろうか。
自分の身体のことを何も知らないに等しいヴィンセントに、その真偽はわからない。だが実際に魔獣が四種であることも含め、セフィロスの言はおそらく嘘やブラフではないだろうと感じられた。
重傷を負ってもすぐさま治る自己治癒能力、そして既に三十年ほども変わらぬ容姿であることからヴィンセントも薄々覚悟はしていたが、事実として他者から突き付けられると、身体の芯がぞっと冷えていくような心地に襲われる。
唇を引き結んだヴィンセントに、セフィロスはくくっ、と笑い声をあげた。
「俺が勝ったなら、お前は俺のものだ。俺の暇潰しの玩具として、俺の傍から死にゆく星を見下ろしせいぜい嘆くがいい」
「……セフィロス。それは」
「拒否することに意味などない。世界は終わるのだからな」
セフィロスの勝利とはすなわちこの星の死だ。世界の終わりにただ一人最後まで死ねないヴィンセントを、セフィロスは。
一人にしないと宣言したに等しい。
「ヴィンセント」
「……わかった」
ヴィンセントは顔を上げ、セフィロスを見つめた。
「その時は、君とともに行く」
「――忘れるなよ」
その声だけを残して、セフィロスの姿はふわりと宙に浮かび、掻き消えた。網膜に残る魔晄色と白銀の強い残滓を惜しむように、ヴィンセントは目を閉じる。
風は止み、岬は静まり返っていた。夢のような今の邂逅が、ヴィンセントの見た夢ではなかったと証明することはできない。彼は足跡ひとつ残してはいなかった。
だがヴィンセントの頬に、胸に。触れられた黒革越しの指の重みを、いまも確かに覚えている。
ヴィンセントは瞼を上げ、空に輝く赤い凶星を仰ぎ見た。
セフィロスは――ジェノバは強い。だが。
おそらくそうはなるまい、とヴィンセントは確信のように思う。人によって既に滅びへ向かっていた星の運命を覆したのは、他でもないセフィロスだ。彼が現れ、メテオが呼ばれ、神羅が潰えたことによって人々は逆に、魔晄文明が星を食い荒らしていた事実を広く知ることとなった。これを乗り越えれば、人は軌道を修正するだろう。メテオがなければ、決してこうはならなかっただろう未来が来る。
「私たちが勝ったら――私は君のことを忘れない。遠い果てに君の名が忘れ去られても、世界に人が私だけとなっても」
ヴィンセントはホルスターの上から長銃を握りしめ、そう呟いた。
静まり返る岬を、一陣の海風が吹き抜けていった。
