【FF7】午前10時のバカンス

 

海を走るタイニーブロンコは、コスタ・デル・ソルにほど近い寂れた船着き場へと停泊した。
揺れない地面を求めて真っ先に飛び出したのはユフィだ。それに続いてぞろぞろと上陸した一行は、照りつける強い陽射しと高い気温に皆揃って顔を顰めている。

「じゃあ、行ってくる」
「おう。気ぃつけろよ」

ここからは陸路で情報収集(なぜか全員が水着類を持ち出している)に向かうクラウドたちを、上着も手袋も脱いだシドは手を振って見送った。タイニーブロンコを置いていくわけにはいかないからだ。操縦者兼メカニックでもあるシドが残るのは当然として、もちろん一人ではない。
機内からのそりと姿を現した黒髪の男は、ここがどこであろうとも相変わらずの姿だった。口元から足首までを覆う重たげな赤マントに、指の先までがっちりと着込まれたレザーの黒服。おまけにブーツだ。長い黒髪も相まって、溜め込まれた熱で陽炎でも立ち昇りそうないでたちである。
飛行機の窓というものは基本的に開かない。つまりエンジンを切ってしまった機内よりは、まだ風が通る屋外で日陰にいる方が暑さはしのげる。桟橋へと降りてきたヴィンセントは誰もがそうするようにタイニーブロンコの機体の陰に立ち、手すりに凭れた。この夏日の下に到底許容できないその格好にもかかわらず彼はいつも通りの涼しい顔のまま、汗の一筋もかく様子がない。シドのあからさまにうんざりとした視線もどこ吹く風だ。

「その暑苦しい恰好、何とかなんねぇのかよ」
「特に支障はない」
「そりゃお前はそうかもしれねぇが、見てるこっちが暑いんだよ!」

さらに言い募ろうとした言葉をシドは飲み込んだ。たたったたたっ、と体躯の割には恐ろしく軽い足音を響かせながら、ナナキが桟橋へ駆け込んできたのだ。クラウドたちを見送るついでに辺りの偵察も済ませてからのご帰還を、ひとまず労わねばならない。

「ただいまー。特に何もなかったけど暑すぎるよぉ」
「おう、お疲れさん」

身体の構造上地面が近いため、人間よりも暑さが堪えるのだろう。イヌ科の獣のように舌を出してハァハァと息を継ぐナナキが飲めるように、シドはボトルを開封し水を注いでやった。

「わぁありがとうシド! 生き返る~!」

喉を潤し、ついでに頭にも水を被ってやっと一息ついたようだ。ナナキはシドに礼を言うと、ほてほてとヴィンセントの方へ歩いていきその足元で蹲った。ヴィンセントはちらりとナナキを見、何か一言二言話しかけたようだ。ナナキは満足げにぐるると喉を鳴らしている。
ヴィンセントの物静かな性質がナナキには好ましいらしく、それは普段からよく見る光景だった。だがシドはふと、かすかな違和感を覚える。
この気温この環境において、さすがに距離が近すぎるのではなかろうか。
ナナキはもうほとんどヴィンセントのマントの下に入り込んでいると言っていい。特殊な身体であるヴィンセントはもしかしたら気温をものともしないのかもしれないが、ナナキはそうではないはずだ。だのにヴィンセントの足元で、ナナキは今やすっかりくつろいでいた。先ほどまでは体温調節のために荒かった呼吸も既に落ち着いている――気温は変わりないにもかかわらず、だ。

「……ヴィンセントよぉ。お前それ、どうなってんだ」
「どう、とは?」
「なんか絶対タネがあんだろ、っと」

言いながらシドは日向を踏み越えて距離を詰め、ヴィンセントの胸倉へ手を伸ばした。すっとヴィンセントが上半身を反らしてそれを避ける。シドの手はマントのケープにすら掠らなかったが、ひらりと揺れた赤い布地の延長上に漂う冷気を指先がほんのわずかに掴み取った。

「……はぁあ?!」
「あ」
「……シド!」

足元にナナキが居るため、ヴィンセントはそれ以上動けなかったようだ。それともごまかせないと諦めたのか。ともかくもシドは驚きのあまりに自身でもよくわからないまま、さらに一歩を進んでヴィンセントのマントの中へずぼりと無遠慮に手を突っ込んでいた。

あ、なんだこれ涼しい。

そう思った瞬間にシドは脚を払われ、後ろに数歩たたらを踏んだ。押し出された日向で陽に焼かれながら、シドは自分の手とヴィンセントを交互に見る。無表情のヴィンセントの足元ではナナキが立ち上がっており、どうやら彼がシドを体当たりで退かしたらしい。

「なんっだそれ! そのマント、エアコンついてんのかよ!」
「なぜそういう発想になる」

指まで指したシドの叫びに、ヴィンセントは困惑気味に眉を寄せている。そして番犬よろしくシドの前に立ちふさがるナナキは、それでもヴィンセントから一定以上は離れようとしなかった。つまり彼は最初からこのことを知っていて、ヴィンセントの足元に陣取っていたのだ。

「……もしかして『れいき』か? マテリアにそんな使い方あんのかよ」
「まあ、あまり一般的ではないかもしれない」
「当たり前だ。エアリスだってンなことできねぇだろ」

マントの内側で極々微弱な冷気魔法を持続させる。言うだけなら簡単だが、実際それはシドなどでは及びもつかない高等技術に思える。よってシドはその血筋ゆえか魔法を得意とするエアリスを引き合いに出したのだが、ヴィンセントはかすかに首を傾げた。

「必要がなかっただけだろう」
「必要、って」
「……何の設備もない僻地のジャングルに真夏の数か月出張させられてみろ。生き延びたければ誰でもこのくらい出来るようになる」

げぇ、とシドは唇をゆがめた。かつて軍属だった身としてはあまりにも想像しやすい的確な例えだったからだ。なおこれが例えでも何でもないヴィンセントの実体験だったことに、どこか浮世離れした赤マントのヴィンセントしか知らないこの時点のシドは気づけなかった。
シドは元の日陰に戻り、しげしげとヴィンセントの立ち姿を眺めた。目に暑苦しく先ほどまでは苛立ちすら覚えていたはずのマントだが、外気を断熱しその内部で空調を効かせていると仮定すれば、要は宇宙服にも原理が近い。
理解してみれば便利なものだが、だからと言って真似したいとは思えなかった。ヴィンセントの技術が再現できないだろうこともあるが、正直、この格好で今を平然と歩き回る勇気はシドにはない。

「……なるほどなあ。んな芸当ができるなら、旅するのにマントは効率的な恰好ってわけだ」
「そもそもこの手の外套の大元は、狩猟民の旅装束だ。今ではもう失われた文化だがな」

ときおりこういった学者めいた物言いをするヴィンセントは、普段よりも少し饒舌だ。おそらくシドだけが気付いているこの癖を、シドは面白く思っている。ナナキがヴィンセントに懐いているのも、案外こういったところが故郷の人々を思い出させるのかもしれない。ヴィンセントは、見た目ほどに気難しい男ではないのだ。

「じゃあお前が涼しい顔できてんのは別に体質じゃなくて、その裏技のおかげだってことか?」
「――そう、かもな。少なくともこれを必要とする程度には気温を感じているのだろう」

ヴィンセントの体質に関するシドの不躾な質問にも、彼は存外素直に答えてくれることが多い。自身のことながら自分では考えもしなかったことをシドが聞いてくるからだと言っていた。そうして得た答えにはかなりあけすけなヴィンセントのプライベートらしき部分も含まれていることを、シドはヴィンセントからの信頼だと思うようにしている。

「……お前それ、他の奴らには誤魔化せよ。『暑くないのか』には『あまり感じない』とでも返しとけ」

汗ばむ頭をがしがしと掻きながらシドは言った。つまり技術ではなく変身体質のせいにしろという意味だ。訝しげな視線を寄越したヴィンセントに、シドは大真面目な顔を作ってみせる。

「他はともかく、ユフィにバレたら面倒だ。あの小娘、気候が変わるたんびにお前のマントへ潜り込みに来るぞ」

その状況を想像したのだろう。ヴィンセントは珍しく、はっきりと嫌そうな顔をした。

「……もう16だろうに」
「まだ16なんだよ」

お尋ね者と変わり者ばかりのこの一行だが、男どもは皆成人男性としてのまともな良識を持っている。それがどれだけ奇跡的なことか、はたしてユフィは考えたことがあるのだろうか。

「……肝に銘じておく」
「おう。そうしとけ」

あるいはニンジャであるユフィなら、ヴィンセントの技術を再現できるかもしれない。だがおそらくそうはならないだろうとシドは思う。彼女が持つファッションへのこだわりと、この技術は共存できまい。
若者らしく常に脚を剥き出しにしているニンジャ娘を思い出しながら、もったいねぇな、とシドは内心に呟いた。シドは魔法が不得手な方だ。ヴィンセントのような便利なマテリアの使い方は到底望めない。その代わりシドは壊れたエアコンを修理できるが、今この場では役に立たない技術だった。タイニーブロンコの空調は別に壊れておらず、使えないのは単に燃料を節約しているからだ。

「……ヴィンセント。お前それ、ブロンコの機内を冷やすくれぇに拡大できねぇ?」

シドの疲れた声に、ヴィンセントは顔を上げてタイニーブロンコを見た。

「難しい」
「そこをなんとか」
「それほど使い勝手は良くない。一部に霜が下りるぞ」
「ぐっ……」

元が氷魔法なのだから、威力を上げればその中心が冷えすぎるのは道理だ。あからさまに肩を落とすシドをヴィンセントはしばらく眺めていたが、やがて何を思ったのか、凭れていた手すりから身を起こした。ちらりと空を振り仰いで、太陽の位置と方角を確かめる。なるべく長く日陰にある位置を見定めるためだった。
キィィン、と幽かな音を立てて、ヴィンセントの数歩前方に魔力が収束する。桟橋の一点に霜が下りたかと思うと、渦巻く冷気によってその中心にみるみると一本の氷筍が立ち上がり始めた。ブリザドよりは大きく、ブリザラよりは小さな規模に見えるが、実際はそれ以上の魔力が凝縮されているようにシドには見えた。そしてよく見る攻撃魔法とは違って、その氷はそれ以上砕け散ることなくそこに建っている。
陽射しの強さは変わらない。だが吹き抜ける風の温度は明らかに下がった。わあー、と歓声を上げたナナキが氷筍に近づき、目を閉じて涼しさを享受している。

「シド、水」
「お、おう?」

氷筍を見据えたままヴィンセントが要求する。シドがボトルを渡してやると、ヴィンセントは開封したその中身を慎重に氷筍へと注いだ。この気温の中で驚くべきことに、氷の表面に触れた水が一気に冷やされて凍っていく。
ボトル一本分の水を注ぎきった氷筍――否、氷柱を前にして、ヴィンセントはふうと息を吐いた。

「……いやすっげえなお前。なんだこれ、発動した魔法ブリザラが終わらずに続いてる? のか?」
「それがわかるなら、あんたにも出来そうなものだが」
「無理無理無理。今もその状態でじわじわ維持してるとか信じらんねぇなお前」

普通この気温で氷に水などかければ、氷の方が融けてしまう。しかし水は凍ったのだから、つまりはヴィンセントが常に凍らせ続けているということだ。

「うあ~~~涼しい! ありがとな!」
「減ったらたまに水をかけてくれ。直接陽にあたるまでは保つだろう」
「了解了解、任せろ。海水でもいけるか?」
「どうだろうな」

ヴィンセントは平然として見えるが、言葉尻がやや投げやりだった。この規模の維持はおそらく楽な仕事ではないのだろう。魔力も消費し続けているはずだ。そうまでして環境を整えてくれた彼に報いるべく、シドはいそいそとあとの雑用を引き受けた。
タイニーブロンコの荷室から折りたたみ椅子を引っぱり出してヴィンセントを座らせ、飲み水と予備のエーテルも渡しておく。同じく折りたたみのバケツで海水を汲み、氷柱にちょいとかけて凍るかどうかもシドは試してみた。海水でも変わらず凍らせる威力は、さすがのブリザラといったところだった。
あたりが快適になったとたん元気に働き始めるシドを、ヴィンセントとナナキは至れり尽くせりの日陰から面白く眺める。

「環境って大事だねぇ」
「そうだな」

ヴィンセントは少し思案し、マントとガントレットを外した。服の首元を開け、両手のグローブも外す。
相当マシになったとはいえここは屋外だ。氷柱を維持するため、ヴィンセントは自身にかけていた冷気魔法を解除してしまっている。日陰の風は涼しくとも、エアコンの効いた室内のように汗ひとつかかないとはいかない。
何やらごそごそとタイニーブロンコの機内を漁っていたシドが、荷物を抱えて桟橋へ降りてきた。知らぬ間に軽装となっていたヴィンセントに目を留め、にんまりと笑みを浮かべる。

「ほれ。暇つぶし用にやるよ。居眠りできねぇもんな」

シドが差し出したのは新聞と数冊の雑誌だった。シドが待ち時間にでも読んでいたものなのだろう。もちろんありふれたものだが、数十年世間から隔絶していたヴィンセントにとっては、なかなかに目新しい紙面だ。
涼しい日陰の折りたたみ椅子の上で、ヴィンセントがぱらりとページをめくる。シドもまた日陰に座り、持ち出してきたビニールシートで日陰を増やせないかと工作しているようだ。
その二人の間で桟橋に寝そべったナナキは、くああっとあくびをして呟いた。

「オイラたちもそれなりのバカンスしてるよねぇ?」

くくっ、という笑い声は、確かに両隣から聞こえた。
青空の下きらきらと汗をかく氷柱を眺めながら、ナナキは涼しい風に目を細めた。

 

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