【逆行物】[u]-εγλ 0002 賽の目は呼び起こす

 

何事もなく、夜は明けた。
テントの外に出て身体を伸ばしながら、ヴィンセントは魔晄炉を見上げる。
セフィロスたちが魔晄炉へ入るのを、ヴィンセントは防げない。それは彼らの任務だからだ。機密だらけの魔晄炉内に一般人を入れる理由などないので、内部で起きることにも関与はできない。
この時点でのニブル山魔晄炉に何かを仕掛けるのは影響が予測しきれないと見て触れずにおいたのだが、今日となってから後悔に似た念が湧き起こる。侵入に必要なパスコードが調べられなかったとはいえ、やはり破壊するなりして先に内部のポッドを排除しておけば、あるいは。
いや。後悔はヴィンセントの性分だが、それは“以前“でやり尽くしたはずだ。出来もしなかったことを嘆くより、出来る限り足掻くこと。それが今世の意味なのだから。
ソルジャー用のテントから、既に隙なく身支度を整えたセフィロスが姿を見せた。見張りの兵士に声を掛けているようだ。続いて出てきたザックスは寝癖の残る頭を振りながらあくびをしている。

いよいよだ。
今日が始まる。

「あのっ、中、見てみたいんですけど! だめですか?」

 

 

 

魔晄炉の扉の傍で、ティファが背伸びしながら騒いでいる。
魔晄や機械にさして興味のない彼女がここで積極的な態度を取るとは予想しておらず、ヴィンセントは驚いた。

「この中は一般立入禁止だ。神羅の企業秘密でいっぱいだからな」
「でも! ……どうしても?」
「どうしても、だ。――お嬢さんを守ってやりな」

セフィロスは慣れているのか特に気を悪くした様子もなく、一般兵二人に声をかけてからパスコードを入力し、中へと入っていった。苦笑を浮かべたザックスが謝るような仕草をしながら後に続き、重々しく扉が閉じる。
拗ねたポーズで何やらクラウドに文句を言っているティファを、年長者の責務として注意すべくヴィンセントは呼び止める。

「ティファ」

振り返った彼女は、兄を見てバツが悪そうな顔をした。たたたっと駆け寄ってきたかと思うとヴィンセントの腕を引き、少し離れたパイプの陰へと連れ込む。
怒られるところを幼なじみに見られたくないのかとヴィンセントは思ったが、そこでティファからかけられた言葉は意外なものだった。

「ティファ?」
「だってお兄ちゃん、魔晄炉の中に興味あるでしょう? ダメでもともとなんだし言ってみた方がいいじゃない。まあ、ダメだったんですけど」
「…………」

ヴィンセントは息を呑んだ。

「……私が?」
「? うん。だっていつも眺めて、何か考えてるじゃない」
「それは……」

無意識の動作から違和を感じ取られていたことに、ヴィンセントは静かに動揺した。ヴィンセントの事情など何も知らないはずのティファは、当然の事実を述べているだけ、という顔だ。彼女なりに考えた結果、兄のためにあわよくばという行動に出てくれたのだろう。10年共にいる間柄というのは、お互いにだてではない。

「……恥ずかしいから、秘密にしておいてくれ」
「わかった。もう、お兄ちゃんって本当に損な性格」

ヴィンセントのごまかしには気付かず、ティファはぷくりと頬をふくらませる。
思えば”以前”においても彼女は常に他人を思いやる女性だった。幼くともその性質は変わらずあることに、ヴィンセントは感慨深さを覚える。なにせ今世においては三分の一くらいは自分が育てたようなものなのだ。

「お前が考えなしだと誤解される方が困る」
「そういうところが! 損してるの!」

地団駄を踏んだ彼女は、突然ぐいとヴィンセントを引き寄せるとその耳に数桁の数字を囁いた。
今度こそ本気でぎょっとして、ヴィンセントはティファをまじまじと見やる。

「お前まさか」
「えへへ」

いたずらな笑みを浮かべた彼女は一瞬で身を翻し、元気よく逃げるようにクラウドの元へ走り去っていった。
ヴィンセントは茫然と、その後ろ姿を見送る。

ティファはあの一瞬で、魔晄炉入口のパスコードを盗み見ていたのだ。
セフィロスの方にも油断があったのは確かだろうが、まさか魔晄炉自体には何の興味もない村の娘が無邪気にパスコードを盗もうとしているなどとは、考えもしなかったに違いない。兄であるヴィンセントですらそうだったのだから。
ソルジャーという有名人を案内する大役を得て浮かれているように見えていたが、もしかするとティファは最初からそのために、わざと軽く振舞っていた可能性すらある。
”以前”のティファが魔晄炉を爆破したテロリストの一人でもあったことを、ヴィンセントは今さらに思い出した。

「女性とは、恐ろしいものだな……」

”以前”の記憶などあったところで、とても敵う気がしない。
心の底からの呟きは、幸いなことに誰にも聞かれず消えていった。

 

***

 

魔晄炉から出てきたセフィロスは凍り付いたような表情をしていた。
ザックスはもっとひどい。態度を繕うことすらできないらしく、真っ青になって今まで見たこともないような顔をしている。
無言のソルジャー二人に一般兵二人は声をかけるのもためらい、顔を見合わせている。

「セフィロス。――大丈夫か?」

白々しい、と内心自嘲しながらヴィンセントは口を開いた。
ぎぎ、と音でもしそうな動きでセフィロスがヴィンセントを見やる。

「ヴィンセント……」

内部は、悲惨な戦場を散々見て来ただろうソルジャー二人が絶句するほどだったのか。外の四人にとっては、それが推し量ることのできる精一杯だった。
同じ光景を見た二人が、取り憑かれている感情はその実まったく異なっていたことを、ヴィンセントだけが知っていた。
セフィロスは、己の出生があのモンスターと同様なのではないかという暗い疑念に。
ザックスは、神羅がモンスターを造りだしていたという事実に対する驚愕に。そしてこののちセフィロスの豹変を目撃した彼は、自分の不用意な一言がセフィロスに与えてしまった決定的な影響について、不安と後悔にも苛まれることとなる。

――それは“ヴィンセント・ヴァレンタイン“が、ザックスの記憶を取り込み己の過去と混同していた”以前”のクラウドから聞き及んだことだった。

『あの魔晄炉でザックスは”普通のソルジャーは、あんたとは違うのか”とセフィロスに問いかけたんだ。とっさの一言だ。後のザックス自身は、あそこで自分が何を言ったかなんてほとんど覚えてもいなかった。でも』
『ザックスは、自分の一言でセフィロスが何かに気付いてしまったことには、ずっと引っ掛かっていたんだ……』

「……内部のことは聞かないが、二人とも、少し休んででも落ち着いた方がいいのではないか。そんな状態で山を下りれば最悪、”生きては越えられない”ニブル山の言い伝えを現代最高のソルジャーが更新する羽目になるぞ」

ティファがすばやく目を走らせ、焚火がまだ生きていることを確認した。

「座ってください。お茶を淹れますから」
「いや……急ぐんだ」
「座れ、セフィロス」

ヴィンセントは真剣な顔でセフィロスを見据えた。真紅の瞳がぎらりと光る。
今まで向けられたことのないヴィンセントの威圧的な言葉と視線に、セフィロスがわずかにたじろいだ。

「急がねばならないのは何だ。報告か?」
「…………」
「どのみち、魔晄炉の外も一通りは点検しておかねばならないのだろう。それくらいの仕事は一般兵の領分だが、時間が必要だ。その間、君はここで報告書の文面でも考えていれば良い。――そうだな?」

念押しはクラウドともう一人の一般兵へ向けられたものだ。ヴィンセントの雰囲気に気圧された二人は、反射的に姿勢を正し敬礼を取る。

「自分たちは、魔晄炉外部からの目視による点検作業へと向かいます!」

セフィロスとザックスに向かってそう告げると、二人は逃げるように魔晄炉へと駆け出していった。
その間にティファが折り畳み椅子を並べ直し、手際よく小鍋に水を入れて焚火にかけている。
呆然と立ち尽くしているセフィロスに、ヴィンセントは問うた。

「はいかいいえかで考えるんだ。それは一刻を争う危険な事態なのか?」
「…………いいや」

たっぷりの沈黙の後、セフィロスはやっとの一言を返した。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。衝撃、動揺、不安、そして恐怖。激しい動悸が収まらない。感情と先ほどの光景と何もかもが入り混じって、言葉になどならない。
だからこそヴィンセントの単純な問いは有効だった。単純な可否の二択が、セフィロスの思考を切り分ける一筋となる。
――返答は”否”だった。そうだ。アレが何だろうと、今すぐ爆発するようなものではない。

「では任務の遂行に支障があるのか?」

任務。任務とは何だったか。
そうだ、魔晄炉の調査だった。検出されていたエラーの原因は特定し、暫定的ではあるが処置をした。モンスターの間引きも行った。ソルジャーに求められている仕事はここまでだ。任務はほぼ遂行し終わったと言っていい。つまり支障は――ない。
ヴィンセントがばしっとセフィロスの背を叩いた。そのまま押され、小さな椅子へ身体を押し込まれる。そこへティファが湯気を立てるカップを手渡してきた。彼女は同じく椅子に座り込んだザックスへ次のカップを持っていき、そのまま傍で心配そうに寄り添っている。
セフィロスはカップの中身に視線を落とした。揺れる水面に、魔晄色の目が映っている。

「君の仕事を、思い出したか?」

傍に腰を下ろしたヴィンセントが、真紅の目でセフィロスを見上げてそう言った。
貴重な召喚マテリアのように鮮やかな赤の中に、光る金色の虹彩が輪を描いている。彼の目がこんなにも不可思議な色合いをしていたことに、セフィロスは初めて気づいた気がした。
セフィロスの視線を受けて平気な者などめったにいないのに、ヴィンセントはまったく臆していない。

「……ああ」

セフィロスは頷き、カップを一口啜った。喉を落ちていく茶の暖かさに、自身の身体が冷えきっていたことを知った。
あのポッドはどう見ても科学部門の管轄だ。原因の一つとして報告書に記載は必要だろうが、余計な詮索は必要ない。それが、ソルジャーの仕事だ。これまでの戦場でも散々あったことだ。
他ならぬ自身が任務を放り出しかけていたことに、セフィロスはやっと気付いた。ただただ気だけが急いているのは、あくまでセフィロスの個人的な問題に過ぎない。

(――ジェネシス。アンジール)

セフィロスはあの時の彼らに、神羅と自分を裏切るほどの何が起きたのかと憤っていた。
モンスターになってしまったと嘆く二人。二人と同じ顔でありながら使い捨てにされていたコピーたち。容易く斬り捨ててきたそれらの意味を、あの時のセフィロスはわかっていなかった。理解しようとしなかった。

(こういうことなのか?)

セフィロスはずっと、自分は他の人間とは違うと感じていた。だがそれは、自分の方が周囲よりも優れているという意味でのことだ。
自分が人間ですらない造り出されたモンスターだなどとは、愚かにも、今まで考えたこともなかったのだ。

 

***

 

セフィロスはカップを抱え半ば呆然としている。その様子をじっと見守りながら、ヴィンセントはほんの少しだけ安堵した。
”以前”の彼らが魔晄炉を出てから神羅屋敷に籠もるまでの道筋を、ヴィンセントは知らない。資料にはその記載がなかったのだ。だがひとまず、セフィロスが激情にかられたまま飛び出していくという最悪の事態は避けられたように思えた。
セフィロスは元来、頭脳面においても非常に優秀だ。冷静になれさえすれば、他に何かしら見えてくるものもあるはずだ。

――まだ、ほんの始まりを乗り越えたに過ぎないことは、誰よりもヴィンセントがわかっている。
セフィロスが冷静になれたところで、彼の内から疑念が消えたわけではない。消えるはずもない。なぜならその疑念はほぼ事実だからだ。
大事なのは、その事実を彼がどう受け入れるかなのだろう。”以前”のセフィロスはその事実を否定し続けたことで、ジェノバの囁きに付け入られる隙を作ってしまったのではないか。ヴィンセントはそう考えていた。

ジェノバ。天より降りし忌まわしきもの。
ヴィンセントは魔晄炉を振り仰いだ。”何か”を睨みつけるその視線は恐ろしく冷たい。

(――貴様を母などと、呼ばせてなるものか)

不気味にうねるパイプの間を、女の歌声のように耳障りな風が吹き抜けていった。

 

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