【その他IFなど】yours

 

『しばらく別荘を借りる』

何度読み返しても、メッセージの文面はそれだけだった。
クラウドは携帯を閉じ、天を仰ぐ。突き抜けるような青空が目に痛いほどだ。
もちろん意味は分かる。旅の最中に購入したコスタ・デル・ソルの別荘は仲間たちの共有財産であり、皆が鍵を持っている。そして使う際にはグループメッセージに一言入れておくのが慣例となっていた。
だがこのメッセージはグループ宛てではなく、クラウド個人へ送られてきたものだった。そして送信元はなんとヴィンセント・ヴァレンタイン。青天の霹靂である。
クラウドは悩んだ。意味は分かる。だがヴィンセントの意図がわからない。
グループへ送らなかったのは、仲間たちの余計な干渉を嫌ってのことだろう。だからクラウドはヴィンセントの代わりに、まるで自分が数日使うかのような使用報告を送っておいた。仕事都合の滞在だと匂わせもしておいたので、仲間たちが突撃してくることはないはずだ。ここまでの対応はおそらく合っている。
問題は、このメッセージが「来るな」なのか「来い」なのか、ということだった。

 

クラウドは悩んだ。うわのそらで仕事を片付けながら丸一日悩んだ。
同居しているティファの目はさすがに誤魔化せなかったので腹を括ってメッセージを見せると、彼女もまたしばらく首をひねった末に「行った方がいいと思う」と言ってくれたのだった。
同意を得て、クラウドは自分が行きたいと思っていたことに気が付いた。放っておいていいのなら、そもそもこれほど悩んだりしないのだ。
クラウドは悩んでいた無駄な時間を取り戻すかのようにフェンリルを駆り、苦手な連絡船に迷わず飛び乗った。薬の効果か船酔いはほとんど感じなかった。コスタの港から道すがら目についた冷たい飲み物と軽食を二人分買い、別荘の敷地にフェンリルを停める。
建物の外からでは、ヴィンセントの薄い気配など全くわからなかった。本当に彼はここに居るのだろうか?
クラウドがそうであれと思うように、本当に彼はクラウドを呼んでいるのだろうか。まるで人を、運を試すかのような、あんな回りくどい方法で。

 

扉を開けると、室内の空気はひやりとしていた。空調が効いている、つまり。

「ヴィンセント?」

声を上げるが、返事はない。リビングへ入ると、ソファから投げ出された長い脚だけが目に入りクラウドはぎょっとした。寝ているというより、それはまるで死体のようなありさまだったからだ。

「ヴィンセント」

慌てて駆け寄ったクラウドは、ソファに倒れこんでいるヴィンセントを見て二度ぎょっとした。明らかに普段の様子ではない。赤みを帯び、うっすらと汗まで浮かべた肌。荒いとまではいかないが浅く間隔の短い吐息。熱中症の類かとも思ったが、彼が胸に抱きしめているクッションにいくつもの噛み跡があることで、おそらくそうではないと知れた。

「ヴィンス」

頬に張り付いた黒髪を払ってやると、ヴィンセントはうっすらと目を開けた。ぼやけた赤い瞳は、やはりただ事ではない。

「くら、うど」
「うん」
「……来たの、か」
「来たよ。遅くなって悪かった」

クラウドは放ったらかしていた荷物から飲み物を取り出した。カップにしておいてよかったと思いながら、ヴィンセントの上体を起こしてストローをくわえさせる。ぐらぐらしている身体を支えるように隣へと潜りこむと、彼は珍しくも遠慮なしに凭れかかってきた。甘露を飲み干す白い喉がごくりごくりと上下する。
ヴィンセントに起こっている異常が何であるか、クラウドは既に気付いていた。原因の方はさっぱりだが、ヴィンセントの身体の特殊性を思えばまあそれくらい起きることもあるだろう、などと思いながら伸ばした手でするりと彼の太腿を撫でる。

「……っ」

びく、とヴィンセントが息をつめ、身体を震わせた。服の上から触れただけでこの反応だ。もうすっかり出来上がっているうえに、余裕もまったくないらしい。がちがちに勃ち上がり張り詰めた下肢の状態は同じ男の目を誤魔化せるものではなく、ましてや相手はクラウドだった。既に幾度も身体を重ね、ヴィンセントの身体の反応には当人以上に詳しい男と言っていい。

「発情期……みたいなものか? コントロールできない?」

こくり。黒髪の頭が頷く。

「歩けないんだな?」

こくり。クラウドを見ぬまま彼はもう一度頷いた。もちろん自力で動けたのならば、ヴィンセントはたとえ這ってでも寝室へ行っただろう。事務的な問いはクラウドの気遣いだったが、それでもヴィンセントの耳は真っ赤になっている。体調のせいではない。

「抱えるけど、耐えられるか?」
「たのむ……」
「わかった」

吐き出すような返答に、クラウドは頷いた。氷だけになった紙カップを受け取って床に置き、ソファからするりと抜け出した。ヴィンセントの両腕を自分の首に回させてから、その背中と膝裏とを支え気合を入れて立ち上がる。
クラウドの膂力をもってしても、ヴィンセントが軽いとはお世辞にも言えない。ヴィンセントの方が体格が良いのだから当然だった。だがかつて戦闘不能に陥った彼を担ぎ上げた時の、絶望的な重みを思えば。
震えながらしがみついてくるこの重みは、なんといとおしいことだろうか。

 

***

 

***

 

ベッドから見上げた窓の外は、いつの間にか星空になっていた。
ぐう、と鳴った腹を押さえ、クラウドは腹筋を使って起き上がる。

「そういえば昼飯買ってきてたんだ。あんた、食べられそうか?」
「……元気だな、お前は」
「若いからな」

そう言うとクラウドは下着だけ履いて、すたすたと寝室を出ていった。
ヴィンセントの嗄れた声にはひどい疲労感が滲んでいたが、それでも明らかに体調は良くなっていた。身体は汗と二人分の体液に塗れ、胸はひりひりするし腰は重いし尻は痛いしあらぬ方向に開かされっぱなしだった太腿は筋肉痛の予感すらするが、それだけだ。身体を埋め尽くしていた得体のしれない性欲はほぼ昇華されたと言っていいだろう。
ヴィンセントはため息をつき、身を起こした。下半身の鈍痛と濡れた感触に思わず顔を顰める。はっきりと覚えてはいないが、途中で避妊具が足りなくなった――ような、気もする。と言うかそんなものはこの部屋に常備されていないのだから、あったとすればそれはクラウドの手持ち分だ。足りなくなって当然だろうし、ヴィンセントも特に否やはない。むしろ、出してくれと自ら懇願したような記憶もある。あまりの醜態に顔から火が出そうで、ヴィンセントはそれ以上の経過を思い出そうとするのをやめた。
ヴィンセントは自身がヒトならぬ身体であることを知っているが、それがどうやって成り立っているのかは知らない。その資料はもうどこにも残されていないし、今さらに調べ直してデータを残すこともできれば避けたい。そんなわけで予防的に女性は抱かないことを決めているヴィンセントにとって、クラウドは実に”都合のいい”人物だった。少なくとも最初はそうだったのだ。
そこに情が生まれてしまったのは、ヴィンセントとしては予想外のことだった。だがクラウドは最初から本気で、そのつもりで、ことあるごとに絶えずヴィンセントを口説いてきた。そのまっすぐな情に、ヴィンセントはいつしか絆されてしまった。
クラウドはヴィンセントの不器用な生き方を否定しない。ヴィンセントも、クラウドの迷いとその行く末に口を出さず見守るばかりだ。それぞれの道を行く二人は、はたからはとても恋人同士とは見えないだろう。それでいいと、ヴィンセントは思っている。
偶にその道が交差するこうしたひとときだけで、ヴィンセントにとっては過ぎた幸福だった。

 

足音を立てながら戻ってきたクラウドは、ランチボックスが入った袋と冷水のピッチャーとグラスを一度に抱えていた。ヴィンセントが起き上がっているのを見、嬉しそうにグラスへ水を注いでくれる。

「俺は腹減ったから食べるけど、あんたは無理しなくていいぞ」

つい先ほどまで腹の中を好き勝手されていたヴィンセントとしては食欲などないつもりだったが、隣で若者が美味そうに食べていれば、やはり興味が湧くものらしい。薄いサンドイッチをつまみ食いのように幾つか貰って満足したと告げれば、残りはクラウドが旺盛に全て平らげた。

「あんたが食べてるとこって、なんかエロい」
「馬鹿を言え。老体にこれ以上何を求める気だ」

二人はベッドに座ったまま冗談を言い合っていたが、クラウドがふと真顔になる。

「ヴィンセント。俺は――頼りないか?」
「そう思ったことはない」
「あんたが寄越したメッセージ。あれって、あんたはたぶん迷ってた……んだよな?」

その瞬間、ヴィンセントの表情が凍るのをクラウドは確かに見た。その示すところは、おそらく彼自身も自身の意図に気づかないまま送信したのだろう、ということだ。
『しばらく別荘を借りる』。来いとも来るなとも、そのメッセージには書かれていない。
あんな状況にあってまで、ヴィンセントは、クラウドに来てほしいとはっきり言えないのだ。
ただ一人クラウドだけにメッセージを送り、そうしておいてクラウドの気まぐれに全てを任せる。クラウドにそんな義務など一つもないのをわかっていながら、クラウドの情を試すかのように。

「俺も、少し迷った。あんたみたいに強い人が俺を呼んでいるだなんて、思ってもいいのかって」

ヴィンセントが息を呑み、何か言いかけるのを制してクラウドは続けた。

「でも悩んでわかった。あんたから連絡が来て、あんたに頼られてるんだと思った瞬間から、俺はあんたに会いたくてたまらなかった。あんたがどう思ってようが俺は、俺が会いたいからここへ来たんだ」

クラウドは言い切って、照れたように笑う。

「だからヴィンセント。今度からは場所を教えてくれれば、俺は絶対にそこに行く。あんたに会いたいからな。俺を頼りないとは思わないのなら、あんたももう俺が来るか来ないかを迷ったりしなくていい」

クラウドの笑顔はきらきら輝いていた。ヴィンセントは表情を固まらせたまま、身体に掛けられたシーツをじりじりと引き上げていく。震える口元が、赤く染まる頬が、じわりと潤む目が、情けなく寄せられた眉が順に隠されていき、やがてクラウドの目の前に残されたのはいわゆるハロウィンのシーツお化けだ。

「あっはははは! あんた、そんなかわいい照れ方できたのか?」

羞恥のあまり頭のてっぺんまでシーツを被ってしまったヴィンセントを、クラウドは笑いながらそのまま抱きしめた。

「お前は、どうして、そんなに突然なんだ……!」
「突然じゃないさ。あんたにメッセージを貰ってからずっと考えてた。結論が出たのは今だが」

クラウドはシーツの塊を宥めるように叩く。

「一緒には居られなくても、いつでも会える。頼れる俺を信じられないか、ヴィンセント?」
「その聞き方は卑怯だ……」
「あんたのあのメッセージほどじゃないだろ。だいたいな」

ヴィンセントの顔にあたる部分のシーツをはぎ取り、クラウドは大真面目に彼を覗き込んだ。

「あんた、あんな状態で俺を呼ばない選択肢があるなんて、それこそ信じられないぞ」

ベッドまで耐えられもしなかったくせに、と続けられ、ヴィンセントがうっと呻く。

「ち、違う。あれを送ったときはまだ、もっとましな体調だった」
「ふぅん?」

ヴィンセントが訥々と語るによれば、コスタに着いた時点では気分は悪いながらも普通に動ける程度だったという。別荘に入り、クラウドにメッセージを送ったのもこの時だ。だがその後、リビングで急激に状態が悪化し、動くこともままならなくなったらしい。
だとすれば、ヴィンセントはソファで転がったまま大層焦っていたことだろう。もしクラウドが来なければ、ヴィンセントは仲間たちと共有するリビングでひどい痴態を晒してしまっていたはずだ。他の誰にも見られなかったとしても、ヴィンセント自身がそれを許せまい。

「さっきは発情期かって聞いたが、実際どうなんだ? 薬を盛られたとかの方が近くないか、それ」
「……盛られてはいない、と思う。だが何らかの――例えば猫に対するマタタビのような作用がある何か、を知らずに摂取した可能性はあるだろう。もちろんその、発情期の可能性もあるが」
「わからずじまいか。もし次の兆候があったらすぐ呼べよ。絶対だからな」
「わ、かった」

ヴィンセントは素直に頷く。

 

ベッドに並んで寝転びながら、二人はぼそぼそと会話を続けた。

「あんた、寝るならシャワー浴びた方がいいんじゃないか」
「明日でいい……」
「腹壊すぞ。俺が運んで洗ってやろうか」
「いらん。余計に疲れる」
「ちぇ」

わかりやすく不満げなクラウドに、ヴィンセントは目元をやわらげる。身体は疲れきっていて、ベッドは狭くて、シーツはガビガビだし、とにかく本当に眠たかったが。
眠ってしまう前に、言わなければならないことがあった。

「クラウド」
「ん」
「……お前を信じる。信じて……いいか」
「いいよ。遠慮とか全部取っ払っていい。あんたのしょうもないワガママは俺が全部叶えてやる」

クラウドが即答すると、ふふっと小さな笑い声が返った。

「本当に?」
「疑り深いな。エアリスに誓ってもいいぞ」
「彼女が、困るだろう……」

ヴィンセントはもうほとんど瞼が落ちている。その幸せで無防備な姿を噛みしめていたクラウドは、彼の唇が音もなくわずかに言葉を紡ぐのを見た。

 

もうしんでもいい

 

そして彼の呼吸がすうと寝息に変わる。
クラウドは呆けたようにヴィンセントの寝顔を見つめていたが、突然我に返るとみるみるうちに顔を真っ赤にした。

「あんたな、そういうとこだぞ……!」

それは望んでなどいなかった永の命をそれでも生きると決めて歩き続ける男の、あまりにもわかりにくい愛の告白だった。ヴィンセントはそこまで期待していなかったかもしれないが、クラウドはその思いを正確に理解し受け止めた。まったく恋人を舐めないで頂きたいものだ。

「あーーー……抱きたい。くそ、起きたら覚悟しろよ」

煽られた自らの欲望よりも恋人の安眠を取った男の鑑のような男は、急所に集まってしまった血流を散らすべく必死でどうでもいいことを考えながら、もぞもぞとシーツに潜り込んだ。
続きは明日、朝が来たら。
貴重な時間を絶対に無駄にはしない。考えてみれば、久しぶりの逢瀬だ。あれもこれも、ヴィンセントとやりたいことは山のようにあったし、そうじゃなくてもやらなければならないことはある。ヴィンセントの服やこのシーツの洗濯だとかだ。

「……楽しみだな、ヴィンセント」

狭くて、ガビガビで、でもあたたかくかけがえのないもので満ちたベッドの上で。
二人肩を寄せ合って、眠りについた。

 

POSTSCRIPT:yours

 

送信中です