ヴィンセント・ヴァレンタインは真剣に悩んでいた。
あのときのヴィンセントは、オメガへ突っ込んだ自分がどうなるかなど考えてはいなかった。状況的にもはやそうするしか方法がなかったし、ヴィンセントにしかそれはできなかった。だから、そうしただけだ。
何も考えずに自己犠牲が成せてしまうのは、おそらくヴィンセントの人間的な欠陥なのだ。結果オメガと相打ちになったのであろうヴィンセントは、どうやら砕け散った肉体をカオスによって再構成された、らしい。そうして目覚めてみればそこはミッドガルの瓦礫の底ではなく、見覚えのある青白いクリスタルの光を湛えた洞窟だった。ルクレツィアの眠る祠――カオスの泉だ。
目覚めた際、目の前のルクレツィアに対して感謝とともに告げたはずの「私はまだ生きている」という言葉が、今となってはヴィンセントの肩へずしりとのしかかる。
人間らしく星に還れていれば、お説教はせいぜいエアリスの一人分で済んだだろう。だが現世へと追い返されたヴィンセントに待ち受けているのは間違いなく、残る仲間たちからの怒られのフルコースだ。こうして自らのやらかしを体現する証拠がある以上、あまりにも、気が重かった。
いっそヴィンセントのことなど皆忘れていてくれればいいのに、先ほど洞窟の外からは覚えのある飛空艇の駆動音が響いてきた。この狭いカルデラ湖に難なく着陸できるパイロットはシド・ハイウインドに違いなく、よりによって最も避けたい人物が最も近くへ来てしまったことになる。
そもそも自分がなぜここに居るのかもわからないのに、こうして迎えが現れること自体が不可解でもあった。甘んじて皆の怒りを受けよという、エアリスのありがたい采配でもあったのだろうか。
はあ、とヴィンセントはため息をつく。
この祠のことを知っている仲間たちは、おそらく中へ踏み込んでは来ない。
しかし結局出口は一つだけだ。たとえば滝壺に潜ったところで、飛空艇が既に着陸している今、この姿を人目に晒すことなく行方を眩ますのはもはや不可能だろう。
どれほど考えたところでもう、諦めるしかなかった。
ヴィンセントは重い頭を力なく振って、目の前のルクレツィアを見上げた。いつ見たとてもう変わらぬ彼女は、けれどかすかに微笑んでいるようにも見えた。
「……行ってくるよ」
彼女でさえ見たことのないだろう幼気な顔で情けなく笑って、ヴィンセントは祠の入口へと向けて踵を返した。
飛空艇から送り出されたシェルクは、辺りを見回しながらゆっくりと歩みを進めていた。
狭いディープグラウンドに閉じ込められて育ったシェルクにとって、自然とはほぼ未知のものだ。どこまでも果てのない空、無駄な熱量とともに降り注ぐ太陽の光、設備もないのに吹き抜ける風の無秩序さ、初めて触れる雨や緑や土の匂い。あらゆるものが新鮮で興味深く、そして正直恐ろしくもあった。
シェルクに目標地点として示されたのは、カルデラ湖と呼ばれるこの特殊な地形に流れ落ちる巨大な水の塊――滝の前だった。聞けば、その裏に存在する洞窟こそがルクレツィア・クレシェントの眠る地なのだという。
シェルクが持つルクレツィアの記憶の断片に、該当する外観はなかった。だがこれまでに得られた情報を総合すれば、ここが彼女とその師がカオスを発見した場所なのであろうことは推定できる。ミッドガル上空で行方不明となったはずのヴィンセントがこれほど離れた場所に現れた理由も、おそらくルクレツィアではなくカオスの方に関連するのだろうとシェルクは考えている。
足音も気配も隠すことなく、ワンピースの裾を揺らし、シェルクはまるでただの少女の散歩のように草地を歩いて、目標地点へと辿り着く。洞窟の中へは入らない方がいいと言われていた。シェルクとしても、ルクレツィア・クレシェント本人との接触は避けたい。他者の記憶のフラッシュバックは、シェルクの人格に影響をもたらす。既に取り込んでしまったものを消すことはできないが、DGから解放された今、わざわざリスクを負いに行く理由はなかった。
照れくささからなんとなく滝に背を向けて待っていると、やがて滝の水音から現れるかのように足音が近づいてくるのがわかった。土と草を踏む音がいまだ聞き慣れないせいか、あの数日で覚えこんでしまった彼の足音と比べればやけに軽いと感じながら、シェルクはもったいぶった調子で口を開く。
「――どうして私が、迎えに来させられているんでしょう、か……?」
言いながら振り返ったシェルクは、目の前にあった予想外の姿に絶句し、驚きのあまりはくはくとむなしく口を開閉させた。
面影はある。それは確かだ。だが身長137㎝のシェルクが常に見上げていたはずのヴィンセントの顔は、今やシェルクとほぼ同じというかむしろ少し低いくらいの位置にあった。信じがたいことだが、見たままに言うと、彼は小さな子供の姿をしていた。
けれどそのものすごく不本意そうな表情から察するに、中身はシェルクが知る彼のままであるようだ。不幸中の幸い、と言っていいものだろうか。
「……ヴィンセント、なんですよ、ね?」
呆然としながらもシェルクが絞り出した問いに、目の前の少女は――いやヴィンセントであるなら性別は男だ、つまりこの少女にしか見えない少年は――いかにも嫌そうに、こくりと頷いたのだった。
世間一般的に見たヴィンセント・ヴァレンタインが、非常に整った容貌の持ち主であることは間違いないだろう。独特な服装と愛想のなさと陰鬱な雰囲気をマイナス点として思い切り差し引いたとしたって、丹精込めたつくりもののようなその造形に対する評価は揺るぐまい。
その美点がそのまま小さな子供に反映されればどうなるか。なんて、シェルクは当然考えたこともなかった。
ヴィンセントの彫刻めいた顔立ちは子供特有のまろみを帯びて、最高級の人形のような美しさを体現していた。表情筋がほぼ死んでいることなど問題にもならない。長い睫毛に縁取られた大きな深紅の瞳、元々傷ひとつなかったのに今や若さまで加わって輝く白い肌。どうしてか腰の下まである黒髪からはあの独特な癖が消え失せ、子供らしくやわらかでつやつやだ。
すっきりと伸びた長い手足は既にモデル体型の片鱗を見せているし、どういった原理なのか服装も子供らしいものに変化していた。ぼろぼろのマントの代わりに羽織っているのは色だけは同じ赤いケープだ。その下は黒のシャツとパンツに、レザーのハーフブーツ。華奢なウエストの後ろに佩いたホルスターから、到底扱えそうもない巨大なケルベロスのシルエットがはみ出ているギャップはいっそ倒錯的でさえあった。
もう率直に言って、美少女だった。性別の誤認は主に髪のせいではあるが。
呆然としながらも任務を遂行したシェルクにシエラ号へと連れ込まれるなり、ヴィンセントは飛んできたシドによって掻っ攫われすぐさま個室に隔離された。そして今、ドアにロックをかけたシドはゆっくりと振り返り、ベッドに座ったヴィンセントを鬼の形相で睨み据えている。
同じ室内で、ケット・シーを抱えたシェルクは困惑していた。
シド・ハイウインドは陽気な男だ。そしておそらくだが、ヴィンセントとは特に気安い間柄であったはずだ。だからいまや美少女にしか見えない彼のことをまず大笑いするくらいの反応を予想していたのに、シドはシェルクが見たこともないほど明らかに激怒している。怒気にあてられて身を竦ませるシェルクの腕の中で、ケット・シーも同様に居心地が悪そうだ。
ヴィンセントが何も話し出そうとしないことを見てとったシドは、こちらも無言のままつかつかとベッドへ歩み寄った。そして何の前触れもなく、ヴィンセントの頭に拳骨を振り下ろす。
「……!!」
避けなかったのか避けられなかったのか、クリティカルヒットをくらったヴィンセントが言葉にならない呻きとともにうずくまって頭を抱える。その今の外見が外見だけに、ケット・シーが思わずバタバタと手足を動かしながら非難の声を上げた。
「ちょちょちょーっと、シドさん⁉︎ あかんて! 相手は子供やで!」
シェルクの腕から飛び出したケット・シーはヴィンセントを庇うように二人の間へ立ち塞がったが、シドに軽く放り投げられてしまった。シドの真剣な目は、ヴィンセントしか見ていない。
「コレのどこが子供なもんかよ。俺様にその手のごまかしが通用しねぇのはわかってるよなあ、ヴィンセントよ」
「…………」
無言で見上げるヴィンセントを、シドはケープの胸倉を掴んで持ち上げた。シドの膂力に対し、今のヴィンセントはあまりにも無力だ。ベッドの上からヴィンセントの身体が、脚が浮く。
「中身が詰まっててこの重さか? たったこれだけか?」
シドの言葉を理解した瞬間、シェルクとケット・シーは心の底からぞっとした。
気付いていたのは、シドだけだったのだ。
自分たちが根拠だけを頼りにヴィンセントを不死だと信じ、帰還を信じていたことの、その危うさに。
「なあお前、残りの重さは一体どこへ置いてきたんだ?」
