ユフィは落ち着きなく玄関の姿見を覗き込んだ。
着慣れないブルーグリーンのワンピースは、少し前にティファと買い物に行って選んだものだ。こんな長いスカート着たことないよと言ったのに、見た目より動きやすいから大丈夫よ、なんてぐいぐいオススメされてしまって。そしてきっぱり断れないくらいには、試着してみたユフィ自身もまんざらでなかった。
一緒に買った淡色のボレロを羽織って、足元も靴でなくビジューの光る華奢なサンダル。正直自分でも見慣れない姿だが、世間一般的には可愛い、はずだ。しかしあまりにも、普段とはテイストが違う。
(――うう、やっぱりちょっとあからさまじゃない?)
男性と二人きりで出かける日にこの格好というのは、言い逃れできないのではないだろうか。
たとえその相手が、自分のことを何とも思っていないとしたって。
ポーン、と玄関チャイムが鳴りユフィは飛び上がった。すぐさまドアを開けると、チャイムを押したポーズのままのヴィンセントが驚いたように目を瞬いた。
「……待たせたか」
「えっううん、全然! 時間ぴったり!」
ちょっと待ってねと言い置き、ユフィはいったん中に戻って小さなバッグを腕にかけた。火よし、窓よし、鍵持った、忘れ物、なし。習慣となっている指差し確認を終えてくるりと振り向くと、ヴィンセントにじっと見つめられていることに気づく。
「な、なぁに……変?」
「いいや」
ヴィンセントはわずかに表情を緩めて付け加えた。
「そういう格好も似合うな」
「ふぇっ? あ、アリガト……」
あのヴィンセントがそんなことを言えるなんて今日は星でも降るのか。いや別におかしくはない、というかクラウドやバレットに比べれば充分言いそうだった。ただユフィが予想していなかっただけだ。
「ヴィンセントも、うん、似合ってんじゃん!」
「お前たちが選んだのだろう」
ヴィンセントは黒のカットソーに涼しげな麻のジャケット、細身のパンツという出立ちだ。先日、彼がめでたく赤マントから解放された日にユフィがシドとシェルクと共に買い込んだものだ。
珍しく髪まで一つに括っているものだからヴィンセントのきれいな顔が丸見えだ。これで街を歩いたら声掛けられまくりなんじゃないのと心配になりながらもユフィは鍵を閉め、ヴィンセントと連れ立って歩き出す。エレベーターの段差でさっと手を取られたことにまで動揺してしまい、ユフィは心の中で己の修行不足を罵った。
(これは全然珍しくないって。昔だってコイツ引っ張り上げ係だったじゃん。平常心!)
「……それで、どこへ行くんだ」
頭上から低い声が降ってくる。ユフィはバッグから折りたたんだ雑誌の切抜きを取り出し、ヴィンセントに手渡した。
「ここ! なんかすっごいステキなパフェのお店」
パフェ、とヴィンセントが真顔のまま復唱したのがおかしくて、ユフィは笑った。
「お昼過ぎに予約してるから、それまではぶらぶらしてようよ。お腹空かせないとね!」
「仰せのままに」
調子が戻ってきたかと思った瞬間、ヴィンセントがまるで騎士のようにそんなセリフを吐くものだから、ユフィの心臓はまた跳ね上がった。
懸念の通り、ヴィンセントが気配を抑えていても何かの拍子に向けられる視線はかなりのものだった。それはそうだろう、ユフィだって不意にこのレベルの美形顔に出くわしたら二度見くらいしてしまう。
ヴィンセント自身は気にした様子もないが、イライラともそわそわともつかない感情にユフィの方が落ち着かない。
「ヴィンセント、これかけてみてよ」
入った店内に陳列されていたサングラスから薄い色の物を選び、手渡した。色が濃いと任務中のタークスみたいになってしまいそうだ。特徴的な赤の瞳をごまかせれば、一目で身バレはしないだろう。なにせ今日の彼は赤マントではない。
ユフィの言いなりに数種のサングラスを試着してもらい、良さそうなものを見繕う。そうしたらヴィンセントが疑問のひとつもなしに会計しに行ってしまったので慌てて後を追いかけた。
「アタシが払うって」
「いや、いい。――気を遣わせたな」
ぽん、と頭を撫でられる。バレバレだったか、とユフィは少し恥ずかしくなった。当然だった、たとえ気にしないそぶりでも、彼が向けられる視線に気づかないはずなどない。
タグを切ってもらい、その場でサングラスをかけたヴィンセントは普通にカッコよかった。赤い瞳は隠せても、別にそれで美形成分は減りはしないのだ。むむ、と唸ったユフィに彼は少しばかり表情を和ませた。
瀟洒なカフェは賑わっていた。ほぼ満席の店内は、見た限り女性客とカップルばかりだ。
「うっ、目移りしちゃう」
通された窓際の席で、メニューを開いたユフィはそんなことを言いながら目を輝かせた。ヴィンセントも一緒になって紙面を覗き込む。
宝石のように果実を散りばめたパフェやケーキの写真は美しく、凝ったものばかりだった。生の果実は今やちょっとした高級品だ。値段もかなり相応のものだが、それだけの価値は優にある。
「パフェは絶対なんだけど、ケーキも捨てがたい……」
でもケーキでお昼になっちゃうのはちょっとなぁ……などとページを行きつ戻りつして真剣なユフィにヴィンセントは苦笑をもらす。
「気にせずお前の好きなだけ頼め。その方が奢り甲斐もある」
「そーお? ううーんでもなぁ……ヴィンセントは何にする?」
ヴィンセントが見た目よりも甘党寄りだとユフィは知っている。どうせなら被らない物を頼んでシェアしたいという女子の発想をわかっているのかいないのか、ヴィンセントはパフェのページをあっさり通り過ぎ、ベリーのソースがたっぷりかかった二段重ねのパンケーキの写真を指差した。
「本当にこの厚みで来るのか興味はある」
「絵本みたいだよね」
「あとは何か軽食だな」
「……ね、ケーキ二つ頼んでいい?」
「構わないと言っただろう。一日暴食したくらいでお前は何も変わらん」
「うっ悪魔!」
「もういないぞ」
ヴィンセントはサングラスの向こうの目元だけで笑って、店員を呼ぶために手を挙げた。
ユフィはそれぞれ違うフルーツが飾られた美しいケーキを結局三つ平らげた。とても美味しかった。
ヴィンセントのローストビーフのサンドイッチを口直しにひとくちもらって、今はカフェラテを飲みながらパフェとパンケーキがくるのを待っている。
「さすがにちょっとお腹いっぱいになってきたかも」
「普通はそうだろうな」
ヴィンセントはポットで注文した紅茶を飲んでいる。彼はサンドイッチを食べる所作もきれいで、やたらと絵になっていた。他の仲間たちとは全然違う。
制服を着た店員が、トレイを掲げてにこやかに近づいてきた。
「お待たせしました。季節のスペシャルフルーツパフェとベリーソースのパンケーキです」
「わぁっ、おいしそう!」
「ご注文は以上で――」
何かを感じ取ったヴィンセントが入口を振り返ったその時、ドカドカとこの場に不似合いな騒音とともに、叫びをあげながら数人の男が乱入してきた。彼らの手には――ナイフと銃。
店内に絹を裂くような女性の悲鳴が響こうとした瞬間、ヴィンセントは既に動いていた。
立ち上がりざまに発動した睡眠魔法が、室内へ既に押し入っていた三人の男を一瞬で昏倒させる。ヴィンセントはそのまま、音もなくたった三歩で入口へと到達し、外にいた四人目の男の腕を捻り上げ、地に引き倒した。同時に立ち上がったものの仕事を全て取られてしまったユフィはしばし考え、ワンピースを整えて座りなおすと、側に立ちっぱなしの店員ににっこり笑って問いかけた。
「何か縛れるもの、あります? あとすみません、今のでどこかに落としちゃったみたいで、フォークとナイフの替えを」
外から響いていた、聞くに堪えなかった男の喚き声が唐突に止む。あっという間にごろつきどもを無力化したヴィンセントがひょいと入口から顔を覗かせ
「WROの警邏部を呼んでくれ」
と、何事もなかったかのように店員に告げた。
ありあわせの物でぐるぐるまきに拘束された四人の男が、駆け付けたWRO隊員に引っ張られていく。
最後に残った隊員の男と何か話しているヴィンセントを眺めながら、ユフィは優雅にパフェを食べ終えていた。
ヴィンセントと一緒に食べたかったのはやまやまだが、パフェはアイスが溶けてしまう。ごろつきどもを拘束するのも手伝おうとしたのだが、ヴィンセントは首を振った。だからその代わりに、ぺこぺこと泣きながら礼を言う店の人たちの相手をユフィは一挙に引き受けておいてあげた。
ヴィンセントに向かってびしりと敬礼したWRO隊員が去っていった。胸ポケットからサングラスを掛けなおしながらユフィの元に戻ってきたヴィンセントは、テーブルの上の冷めてしまったパンケーキと、その横の新しいカトラリーの前に座る。
「この度は本当にありがとうございました。よろしければそちら、新しいものと交換いたします」
「いや、このままで構わない。だが追加で紅茶の同じものを頼む。ホットのストレートで」
「かしこまりました」
「それから、さっきこれを落としてしまったんだ」
「お預かりいたします」
手渡されたパンケーキ用のフォークとナイフがヴィンセントの袖の中から出てきたことに、店員は気付かなかっただろう。一礼して去っていった店員を見送り、ユフィはヴィンセントに笑顔を向けた。
「お疲れさま」
「治安はまだまだだな」
「モンスターだけ気をつけてればいいなら楽なんだけどねー」
ヴィンセントはパンケーキにナイフを入れた。ベリーのソースが完全に染み込んでしまっているが、それでも端まで分厚い形は写真の通りだ。
「メニュー通りだったね」
「良い店だ。どうやって作っているのだろうな」
一口サイズに切ったパンケーキを刺したフォークを、ヴィンセントはユフィに向かって差し出した。
「えっ」
「……落ちるぞ」
「あっ、あ」
慌てて開いた口に押し込まれる甘い甘い物体。ユフィが上目遣いに見たヴィンセントの顔は、ひどく楽しげだった。
周囲からの、ものすごい羨望と嫉妬の視線を感じる。
「どうだ」
「おいひい」
ユフィがこくこく頷くと、ヴィンセントも頷いた。満足そうにパンケーキを食べ始める、その一口はユフィの口に突っ込まれたものの倍も大きさがあって、そんな妙なところに男らしさを見てしまう。
自分たちは周りからどう見えているのだろう。――今だけでも、恋人に、見えるだろうか。
ユフィはヴィンセントのことが好きだ。異性として、ずっと好きだった。だがそれを伝えて成就したいとは、思っていなかったのかもしれない。想いを伝えられた時点でヴィンセントが苦しむのは目に見えていたからだ。
追加の紅茶が届けられて、ヴィンセントは新しいカップにそれを注いだ。そしてそのまま、ユフィの前へと押し出してくる。
「いいの?」
「手持ち無沙汰だろう」
残りの紅茶をヴィンセントはもともと使っていたカップに全て注いで口を付けた。若干、甘さに飽きが来ているという顔をしている。それを見分けられることに、ユフィは誇りを感じている。
「ありがと。チョコソースの方が良かったかもね」
「どうだろうな……」
パフェで少し冷えていたユフィの身体に、温かい紅茶がしみわたる。そう、こんな気遣いも自然にしてくれる男なのだ、彼は。
好きだなぁ、と思う。そして好かれている自信もある。けれど、その二つが同じ感情ではないこともユフィはわかっている。
カオスを失って、おそらく人生を取り戻したのだろうヴィンセントは、もしかしたらこれから恋をするかもしれない。
ユフィとしては、その相手はぜひ自分であって欲しいしそのための努力も怠らないつもりだが――そうでなくたって。彼が他の誰かを愛したって、きっと嬉しい。それで彼が幸せになるのなら。
もしそれで彼が幸せにならなさそうなら、自分が彼を攫ってみせる。ユフィは、かつてのヴィンセントと同じ轍を踏むつもりはさらさらなかった。
「ね、この後どうする?」
「……甘いものはしばらく遠慮したい」
「あはは! じゃあちょっと歩こっか。しょっぱいもの探すのもいいなぁ」
頷いたヴィンセントが伝票を取って席を立つ。その腕にしがみつく機会を虎視眈々と狙いながら、ユフィは彼の後を追いかけた。
