七月七日、ヴィンセントは仕方なしにウータイを訪れた。
相変わらず派手な色合いの街には、何やら色とりどりの紙で飾られた背の高い植物が飾られていた。流線型の葉が風に揺れ、さらさらと涼しげな音を立てている。そういえばこういったものを飾るという話は聞いた気がする。ユフィは何と言っていたのだったか。
飾りつけに混じる長方形の色紙には、子供の字で短い文章が書かれているようだった。ヴィンセントが何とはなしにそれらを眺めていると、見知った気配がかなりの速度でこちらへ近付いてくる。
「ヴィンセント!」
どこからか文字通り跳んできたユフィが、見事な身のこなしでヴィンセントの隣に着地した。派手な登場に街の子供たちが歓声を上げるなか、満面の笑顔を浮かべた彼女は、逃がさないと言わんばかりにヴィンセントの左腕を掴んだ。
「来てくれてありがと!」
「…………ああ」
衆人環視の中で、ヴィンセントはため息をつくことしかできない。
そんな彼の様子にはお構いなしで、ユフィは騒ぐ子供たちに手を振ると、ヴィンセントをぐいぐいと引っぱりながら上機嫌に街の奥へと歩き出した。
ウータイの街中は、祭りらしい飾りつけは散見されるものの、ヴィンセントの目には人出は普段とさほど変わらないように見えた。メインが夜だからだろうか。強いて言えば民族衣装めいた服装の割合は高いかもしれない。
「アンタその格好暑くないの?」
ヴィンセントの口元まで覆うマントとレザーの黒服は、街中で浮いているとまではいかずとも、季節にはそぐわない。隣を歩くユフィは腕も腹も脚も丸出しの軽装なのだからなおさらだ。
「あまり感じない」
「ふぅん? ならいいけど」
ヴィンセントの返答に深く突っ込むでもなく、ユフィはしゃべり続ける。
「そうださっきアンタが見てたやつ、あれが笹って木でね。この辺じゃいくらでも生えてるんだけど、なんでか海越えたら全然見当たらないんだよね」
「あまり木らしくない植物だったな」
「ヴィンセントもそう思う? アタシもあれを木って言うのはなんかちょっと違う気すんだよねー。幹なんてパイプ繋げたみたいな空洞になっててさ、大きいやつは器とかに使えて便利は便利なんだけど。あ、吊ってある飾りも見た? けっこうかわいいでしょ」
「かわいい……はよくわからんが。何か書いてある紙があったな」
「ああ、あれは短冊って言ってね、子供がお願い事を書いて吊るす風習なんだよ。――っと、到着! 入って入って!」
途中からヴィンセントも察していたが、行き先はやはりユフィの家だった。ユフィがばたばたと中に入っていき、仕方なくヴィンセントも後に続く。
先程といい今といい、彼女には自分が年頃の女性だという自覚が欠けている。いや、逆なのか。自分が成人男性だと思われていないという可能性に、ヴィンセントはため息を押し殺す。
彼女の実力があれば、物理的な身の危険は少ないだろうことだけが救いだ。
ヴィンセントが悩みながらも無表情のまま戸をくぐると、その足元へするりと何かがすり寄った。らしからぬ驚きをあらわに足を止めたヴィンセントを、振り返ったユフィが声を上げて笑う。
「あ、ごめん。すぐ入ってきちゃうんだよねー。猫ニガテ?」
「苦手、ではないが……」
白い猫が、ヴィンセントの足元に身体を擦り付けながらぐるぐると回っている。どこから現れたのか全くわからなかった。目の前のニンジャ娘よりこの生き物の方がよほど忍んでいる。
「どうしていいかわからん」
「ゆっくり動けば猫の方が避けるよ。あーでも、ちょっと待って」
ユフィは室内へ入ると、置いてあった大きく薄い紙包みを解いて、畳まれた布のようなものを取り出した。
それをヴィンセントの手に押し付けてから、彼女はさっと屈んで魔法のような手際で猫を回収する。
「これが浴衣! とりあえず服脱いでそれ羽織って~、腕通して、こう右手がずぼっと入る向きに襟を合わせて、帯で適当に後ろ結んで出てきてくれる? 着付け直したげるから」
ユフィは猫を抱いたままで器用に身振りを交えてその服らしきものを説明し、洗面所はあっち、とこともなげに指を指した。
「待て、何の話だ」
「衣装も用意したげるって前に言ったじゃん。あ、それともシャワー浴びてからにする?」
慌てて首を振るヴィンセントにユフィは頷くと、その背をぐいぐいと押して洗面所へと押し込みにかかる。
「脱いだ服はこのカゴね!」
駄目押しのような言葉とともに背後で扉が閉められる。ヴィンセントは己の失態に眉根を寄せ、深くため息をついた。
軽い足音が猫の鳴き声とともに廊下を遠ざかっていく。
ヴィンセントは手の中の布地を見下ろした。完璧な長方形に畳まれており、ヴィンセントの常識ではまず服に見えない。だがユフィの言からすると恐らく街でも見かけた、あの民族衣装めいた服なのだろう。
生地はごく黒に近いグレーに銀糸のような細い縞が入っていて、独特な手触りだが軽く涼し気だ。おそらくだが、それなりに上等なものと見える。
「…………」
ユフィは一体どういうつもりなのか。
ヴィンセントはこの短い間にもう何度目なのかわからないため息をつき、諦めてマントの留め具に手をかけた。
居間へと戻ったユフィは、身をくねらせる猫を宥めながら真剣に耳を澄ませていた。しばしの間のあと、ばさっ、と重たいマントを落とす微かな音が聞こえたことに胸をなでおろす。
ユフィとしては、ここは正念場だったのだ。
電話でああ言えば、ヴィンセントは気が向かずともウータイには来てくれるだろうと思っていた。だが真の難関はその後だ。
ユフィはこの機会にどうしても、ヴィンセントに浴衣を着せてみたかった。
普段からあんな指一本見えない重装備を着ている男にとって、ほぼ布一枚の浴衣はあまりに無防備すぎる。文化圏が違うヴィンセントから見れば浴衣や着物はコスプレに近いものだろうことも。
わかっている。わかりきっているが。
「たまにはいいでしょ!」
にやにや笑いをとうとう抑えきれなくなりながら、ユフィは両手で持ち上げた猫に向かって呟いた。
だって! どうしても! 浴衣姿のヴィンセントが見たい!
七夕の祭りにヴィンセントを誘おうと決めたときから、ユフィの脳内を占めていたのはずっとそれだけだ。
ヴィンセントのスタイルの良さはともかく、ユフィお気に入りのあのやたらと綺麗な顔は、普段の赤マント姿だとほとんど見えない。おそらく本人が意図的にそうしているのだろうが、全貌を知るユフィとしてはあまりにももったいなく思えてしまう。たまにはこうして世間に見せびらかしてやってもいいはずだ。
大柄な彼に合うサイズの浴衣が既製品には少なかったせいもあって、思い切って注文までしてしまった品なのは絶対ナイショだ。ユフィが色柄に拘りたかっただけとも言う。
ユフィはあの夜ヴィンセントが言い放った言葉を忘れていない。好みが違うことは認めても、あの妖怪赤マントに服のセンスを疑われたままだなんて、オシャレを愛する女子のプライドが許さないのだ。
にゃうん、と猫が鳴き、ユフィははっと表情を改めた。洗面所の扉が開いて、いつもの真顔なのにどことなく困ったような雰囲気のヴィンセントが顔を覗かせる。
「着れた?」
「やってはみたが、よくわからん」
「もともと巻き付けただけ~みたいな服なんだよ。OKOK、後はなんとかするからそこに立って」
抱いていた猫を床に放し、ユフィはヴィンセントの着付けを直しにかかる。浴衣も着物もさほど見たことがないだろう人間がやったにしては、袖も襟も間違えていないのだから十分に上出来だった。ユフィに指示された場所をヴィンセントが自分で押さえたり引っ張ったりしている間に帯が巻きなおされ、腰の後ろで器用に小さく締められる。
着付けも帯も、男性と女性ではやり方が違う。実のところユフィは事前にかなりの練習をしたのだが、恥ずかしいのでそれは絶対に言わない。
「おー、さっすがアタシ。いいじゃん、バエる」
「……?」
「褒めてるの! 似合う似合う。思ったとーり!」
首を傾げるヴィンセントは、ユフィが想像していた以上に浴衣がよく似合っていた。ウータイとは縁のない人種なのに不思議なほどだ。すらりとした長身は実に見栄えがする。ごく細い縞が入った蝋色の布地から覗く、普段は見えない首元や手首の白い肌が眩しい。
悩んで選んだ甲斐があった、とユフィは大満足でうんうんと頷いた。
「そこ座ってて!」
ヴィンセントに椅子を勧め、ユフィは軽い足取りでキッチンへ駆け込んだ。用意しておいた急須にお湯を注ぎ、お菓子と一緒にお盆にのせる。普段なら湯呑みだが、今回は取っ手のあるカップだ。
それらを手に居間へ戻れば、椅子に座ったヴィンセントが今度は真顔に困惑を漂わせて見上げてきたので、ユフィは思わず笑ってしまった。
「あやー、好かれてるねぇ」
「掴みどころがなさすぎる」
ヴィンセントの膝の上には白猫が丸くなっている。実にほほえましい光景だが、慣れないヴィンセントは心底困っているようだった。
「たぶん、今どけてもまたのぼってくるよ。しばらくしたら飽きてどっか行くと思うから、好きにさせてやって。撫でてみてもいいし」
そう言いながらユフィは、彼の傍にお盆を置いた。
「アタシも支度してくるから、その間お茶でもしてて。熱いから気ぃつけて」
「……わかった」
猫を凝視しながら神妙に頷いた彼を残し、ユフィは自分も浴衣に着替えるべく居間を出た。
ヴィンセントに気付かれないだろう洗面所まで来て、嬉しさのあまりぴょんと小躍りする。
信じられないほど順調に事が進んでいた。もちろん準備や根回しは万端に整えていたつもりだったが、ユフィは結局のところヴィンセントに対して何ら強制力を持ってはいない。
ヴィンセントが今日ウータイへ来てくれない可能性だって十分にあった。そうならなかったのは、ひとえに彼の本質が優しいからだ。
ユフィは鏡を覗き込み、真剣にヘアメイクを直し始める。あのヴィンセントの隣に並ぶのだから、なるべくそこに相応しい見た目でありたい。もちろん彼を長く待たせるのはまずいが、待たせてしまったところできっと文句は言わないだろうなとも思う。
ヴィンセントはユフィに対して甘い。本人は自覚がないかもしれないが、特に甘いと言っていい。
その理由もわかりきっている。ユフィが気心知れた旅の仲間で、かつ最年少の女性だからだ。今のところは、それ以上でも以下でもない。
それは今までユフィが享受してきた一つの特権ではあった。だが、ユフィが真に望むものではないのだ。
「ガラッと雰囲気を変える、ってのはけっこういい手だって聞いたんだよねー」
ユフィの普段の服装と比べれば、浴衣は対極のものと言っていいだろう。オリエンタルな見た目の美しさ、優雅で淑やかな動作、露出度が低いからこそ滲み出る色気。そういったギャップを見せつけることでユフィの新たな魅力に気づいてもらおうという作戦なのだが。
「……いやいや、アタシが惚れ直してどーする」
それらすべての要素がヴィンセントにも当てはまることに気付き、ユフィは頭を抱えた。
まったくもってユフィの分が悪い。先に惚れた弱みとはこういうことかと、思わず天を仰いでしまう。
気を取り直して、メイクの仕上げに普段はあまりつけないリップを唇にのせた。少し前にティファに選んでもらったお気に入りの色だ。気付いてくれるとはあまり思えないが、それならそれで自らアピールすればいい。欲しいものは自力で掴み取る。それがユフィのスタンスだ。
さあ、あとは浴衣に着替えるだけ。
ユフィは鏡の中の自分に向かって微笑み、気合を入れる。
ユフィのことを相も変わらず子供扱いしているあの朴念仁に、あれから何年経ったのか、今日こそ気づかせてやるのだから。
