【FF7】献身の獣

 

セブンスヘブンのカウンター席でヴィンセントが項垂れていた。
いや項垂れているとは言いすぎか。一見すれば彼はただ普段通りの無表情で、コーヒーカップを見つめているだけだ。だがわかる者にはわかるその背に立ちこめた暗雲に、ケット・シーは思わずおつかい物の書類封筒を取り落としそうになりながら、傍らのティファに訊ねた。

「……アレ、どないしはったんです?」
「実はね……」

ティファによるとこうだ。
久しぶりに店を訪れたヴィンセントを、見せたいものがあると言ってマリンが連れだした。それはセブンスヘブンの裏手にある猫集会スポットで、いわゆるマリンのとっておきの場所だった。猫贔屓であるWROのお膝元で、野良猫たちはすっかり地域猫としての地位を確立しており、今ではさほど人を恐れることもない。
だがマリンに手を引かれたヴィンセントと、猫たちの目が合った瞬間。
猫たちは逃げ出した。
それはもう、泡を食ったように。蜘蛛の子を散らすように。恐慌し一目散に走り出した猫たちは動揺のあまりかそこら中の鉢やバケツや洗濯物やらをひっくり返していき、けたたましい大音響ののち、そこには呆然とするマリンとヴィンセントだけが残されていた。

「マリンは、ヴィンセントがその……小動物に好かれないってこと、知らなくて」
「あぁ……」

ケット・シーの作りものの目が、心から痛ましそうにヴィンセントを眺めた。
セブンスヘブンで皆が集まる時、ヴィンセントはよくナナキにせがまれて鬣を撫でている。その平和な光景をよく見ているマリンはヴィンセントが動物好きだという印象を受け、厚意から猫集会を見せようと考えたのだろう。
だがヴィンセントはその身に飼う魔獣の気配から、とにかく小動物に嫌われる体質なのだった。少なくとも街中で出会えるような動物はみな、ヴィンセントを見た瞬間逃げだそうとして狂乱を起こす。彼と目を合わせても平然としているのは、それこそ胆力の据わったチョコボくらいのものだ。
隣のスツールに座ったマリンが、ちらちらとヴィンセントを見上げていた。どう慰めていいかわからないのだろう。そしてそんなマリンの様子にも気付けないほど、ヴィンセントは沈んでいる。
そう、不幸なことに。マリンが受けた印象は間違っていない。ヴィンセント本人はおそらく動物が嫌いではないのだ。人里で不意に出会ってしまった犬や猫が怯えて逃げ出す光景に、ヴィンセントがあの無表情の下でそれなりのショックを受けていたことを、仲間たちは感づいていた。ナナキが今でもよくヴィンセントに撫でられに行くのは、その心のひび割れを少しでも埋めようとしているのかもしれない。
ケット・シーは来店理由であった書類封筒をティファに手渡すと、トコトコと二足で歩いてカウンターへと向かった。棚や椅子を足場に器用なジャンプをくり返し、よじ登る。歩幅が小さいため距離を歩くことこそ苦手だが、ジャンプは得意だ。なにせ、猫なので。
猫なのだ、ケット・シーは。
カウンターの上に到達したケット・シーは、小さな長靴を脱いで隅っこに揃えた。マリンの視線を釘付けにしながら彼女の前を横断し、ヴィンセントのぬるくなったコーヒーカップをすすすと押しのけ。
そしてころりと、そこへ横になった。

「にゃん」

腹見せのポーズだ。前肢をちょいと曲げて頭の横に掲げ、長いしっぽは手招くようにぱたりと動かす。毎日ブラッシングされているつやつやの被毛は、その辺の猫には決して負けない手触りのはずだ。
二足歩行にデザインされたぬいぐるみであるだけに、ケット・シーの腹見せポーズはあざとくこそあれ、かわいさという点で本物の猫には敵わない。それでもケット・シーは身体を張った。
無反応のヴィンセントの前で、くねくね、ごろごろと懸命にアピールを続ける。ここに居るのはあなたにも触れられる猫ですよ、と。
ケット・シーは猫だが、その喋り方はどうしたってほぼ人間だ。そのように作られたのだから。つまり本物の猫の鳴き声を発するような機能は搭載されていないし、当然喉を鳴らすこともできない。

「……にゃあん」

愛嬌はあると自負している。だがやはり本物には勝てないのだろうかと、ケット・シーが笑い顔の下で密かに焦り始めたころ、ヴィンセントがフ、と小さく息をついた。
ケット・シーがそっと見上げると、彼はほんの少し目尻を緩めて、ちゃんとケット・シーを見返していた。隣のマリンがほっとしたように肩を楽にする。

「……お前は、猫ではないだろう」
「ネコです」
「ケット・シーとは、猫の姿をした妖精の一種のことだ。ニブルエリア以北の伝承だな」

そうなんだ、とマリンが目を丸くしている。ヴィンセントは寝転がったケット・シーをひょいとつまみ上げ、カウンターにきちんと座らせた。黒革のグローブに包まれた指がついでのように、さりげなくケット・シーの顎の下をくすぐってから離れていく。

「ネコの姿をしとるんやから、ネコです」

ケット・シーはもちろんその話を知っていたが、そう言い張った。今必要なのは妖精などではなく、ヴィンセントを癒せる小動物だ。だがヴィンセントはわずかに目を細めると、指先でケット・シーのハチワレ柄を軽くつついて言った。

「猫は人の機嫌を取ったりしない」
「うぐっ。た、確かにそうや……」

ケット・シーは急所を突かれたと言わんばかりに、大げさに胸を押さえる。猫の習性を思えば、ヴィンセントの言うことは至極妥当だった。というか、意外なことにヴィンセントの物言いからは妙に猫に詳しそうな気配がする。ケット・シーはあざとい仕草で首を傾げた。

「ヴィンセントさん、ネコにお詳しいですな?」
「昔飼っていた」

ヴィンセントはそうとだけ答えると、冷めたコーヒーを口に運んだ。話を聞いていたマリンが、いいなあと呟く。飲食店であるセブンスヘブンで動物を飼えないことは、彼女もよくわかっている。
もっとも、今のエッジで動物を飼う余裕のある家庭はむしろ珍しい。だからこそ、WROが提唱する地域猫のシステムが受け入れられたのだとも言えた。
ヴィンセントがいつもの調子を取り戻したのを見てか、ティファがカウンターの中へと戻ってきた。ヴィンセントにおかわりはと聞いたが、彼は首を横に振る。

「マリン」
「なあに?」
「先程は済まなかった。君の大切な場所を荒らしてしまったな」
「ううん!」

赤い瞳に見つめられて、マリンは一生懸命に首を振った。確かにものすごく驚きはしたが、それだけだ。ヴィンセントが悪いわけではないとマリンはちゃんとわかっている。だがヴィンセントは引かなかった。

「驚かせた詫びに、何か甘いものでもごちそうさせてくれないか」
「えっ?!

まったく予想外の珍しい誘いに、思わずマリンの背筋が伸びる。ヴィンセントとのお出かけなど、めったにあるものではない。行ってみたいに決まっていた。お詫びのスイーツなんて正直どうでもいいくらいだ。
マリンとヴィンセントの伺いの目線を受けて、ティファが仕方ないわねと言いたげな苦笑で頷いた。つまり、保護者の許可も出たわけだ。

「行ってみたいところはあるか?」
「ヴィンセントさんはおいしいお店とかそのへんなーんにも知りませんからなー。これはマリンちゃんが先導してあげなあきませんなあ」

ニヤニヤと笑いながら追従したケット・シーをヴィンセントの指が再び小突く。

「お前も来るか?」
「イヤイヤご冗談を! お二人のデートの邪魔なんて、チョコボに蹴られてまうわー!」

両手を振り回しておおげさに嫌がってみせるケット・シーは、そもそもリーブのおつかいでここへ来たのだ。ヴィンセントを慰めるという予定外のミッションをもこなしたところで、そろそろWROへ戻らねばならない。残念そうに眉を下げるマリンを見れば罪悪感も多少あるが、ものを食べられないケット・シーがいたところで店員が困るだけだろう。
支度をしてくると言ってマリンが大急ぎで二階へ上がっていった。ティファも夜の仕込みを始める頃合いだ。長靴をきちんと履き直したケット・シーはヴィンセントとティファにいとまを告げた。

「リーブによろしくね。ちゃんとお休みとってって言っておいて」
「はいな!」

珍しくヴィンセントもひらりと手を振ってくれたことに、ケット・シーは大変気分を良くしながらセブンスヘブンを後にした。
外は晴れ渡った昼下がりだ。青空の下を行き交う人々もどこかのんびりとしていて、ざわめきが猫の耳にも心地よい。占いなんて必要ないほどに絶好のデート日和だと思いながら、ケット・シーは意気揚々と帰路についた。
だから閉まった扉の向こうで、こんな会話が交わされていたことは知らない。

 

 

「ケット・シーって妖精だったんだ。私てっきり、『長靴を履いた猫』だと思ってたんだよね」
「格好を見れば、それもモチーフであるのは確かだろうな」

主人のために立ち上がり知恵を駆使する寓話の猫は、非力であれどその知識や情報収集能力で役に立ってきたケット・シーの役どころそのものだ。この現実においては、主人に爵位や財産をもたらす以上のことを成し遂げたとも言える。

「ケットを見てると、やっぱりリーブとは別の生き物かなって思えちゃうの。本当に妖精だったとしても驚かないかも。ほら、インスパイアって本人にも原理がよくわからないって言ってたじゃない」
「ふむ。そこらの妖精を捕まえてぬいぐるみに押し込める能力かもしれないと?」
「合ってるけど! 言い方!」

無表情の美形から出てきたぬいぐるみという愛らしい単語の破壊力もあって、たまらずティファが笑い出す。ヴィンセントはふと、今頃どちらがくしゃみをしているだろうか、とさもないことを考えた。
ぱたぱたとマリンが階段を下りてきて、ヴィンセントの思考を中断する。

「準備できた!」
「では行こう」

ヴィンセントは穏やかに答えると、はしゃぐマリンの手を取った

 

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