【その他IFなど】月夜のこと

 

泥のような眠りに沈む――否、沈められている。
優しい手のように暖かなその魔法の気配にそうと気付けたのは、かつての訓練の賜物だろうか。
苦痛でないがゆえにひどく抗いがたい眠りの淵から懸命に足掻き這い上がり、張り付けられたような瞼をこじ開ける。
粗末な宿の天井を照らす小さな明かりが見え――やっと、ヴィンセントは目を覚ました。

あまりにも静かだった。この自然溢れる村の只中で、虫の声すら聞こえてこない。
ベッドから降りたヴィンセントはブーツを履きなおし、窓辺に立った。
月が大きい。室内よりもよほど明るいその風景はまるで一枚の絵のように何一つ動きをもたず、非現実的な現実としてそこにある。
――村全体が、眠らされている。
非常に強力なスリプルだ。こんなことが可能だとは。
ヴィンセントは枕もとの銃を掴むとベルトに突っ込んだ。窓を開け、音もなく外へ身を躍らせる。
迷いもなく目指すのは村の出口だ。大きくなるばかりの胸騒ぎに、呼ばれてでもいるかのように。

 

 

村を出てしばらくのところで、目当ては見つかった。
リボンで束ねた長い髪。赤いジャケットとピンクのスカート。ロッドを背負い夜道を一人行く女性の姿。

「エアリス」

彼女は振り返り、ヴィンセントを見て困ったように笑った。

「……来ちゃったかぁ」

この異常時に、まるでいつもと変わらない仕草。彼女こそが村にスリプルを振り撒いた当人だからだ。
いや、そんなことはここへ来るまでもなくわかっていた。あれほどの強度で状態異常を作り出せるほど魔法に長けた人物などそもそも彼女しかいない。そしてスリプルという何の害もない魔法を選んだ理由を考えれば、彼女がこれから為そうとしていることにも予想はつく。

「一人で行くべきじゃない、って言うんでしょ?」
「……わかっているのにか」
「これでも、いっぱい考えたんだから」

月光に照らされたエアリスの表情はやわらかく、しかし決意に満ちている。
じゃり、と道を踏みしめて、エアリスはゆっくりと歩み寄ってきた。

「わたしは強くない。旅慣れてもない。道も知らない。未来も、わからない」

一歩ごとにこぼれ出る言葉は否定と不安。手を伸ばせば触れる距離で、彼女はヴィンセントを見上げる。

「それでも、行かなくちゃいけないの。この星の上でわたしにしかできない仕事があるんだってこと、わかっちゃったから」

翠の瞳に気圧されそうになり、ヴィンセントは首を振った。

「……君がそう決意するなら、誰も行くなとは言わないだろう。だが何も告げずに、こうして一人で行こうとするのは悪手だ」
「わたし、今までずっと守られてきたの。イファルナお母さん、エルミナお母さん、ザックスやツォン、クラウドたち、みんなに。だから今度は、私がみんなを守る。これはそのために必要なことなの」
「聞いてくれ、エアリス」
「ね、ヴィンセント」

翠がきらめく。なぜだかそこから目が離せない。魔法を使われてもいないのに、身体は動かない。

「だから目を覚まして、来てくれたんでしょ? ねぇ、ヴィンセントの――その奥のあなた」

意識が、暗転した。

 

 

「……自意識過剰だぞ、古代種の娘」
「エ・ア・リ・ス!」
「目を覚ましたのはヴィンセントだし、お前を追ってきたのも止めようとしたのもヴィンセントだ。”私”はお前に思うところなど無い。たとえ古代種の秘された白魔法が、唱えれば死ぬたぐいのものだとしてもな」

金色の瞳を光らせたヴィンセントがつまらなさそうに言い放った。
エアリスは驚くでもなく首を傾げ、小さく笑う。

「……ヴィンセントじゃないヴィンセントって、やっぱり変な感じ」
「喚んでおいて何様だ。戻るぞ。一人で野垂れ死ぬか?」
「ああ待って待って。ごめん、お願い手伝って。北の大陸まで移動したいの」

ぱんっと手を合わせるエアリスに、ヴィンセントは鼻を鳴らした。その無表情は、ヴィンセントの普段のそれとは似て非なるものだ。
なぜならこれ・・は、ヴィンセントではない。

「星の武器たる我々星の眷属ウェポンに、ヒトの願いを聞いてやる義理など無い、が」
「が?」
「――滅びゆく古代種のこれまでの功績に免じて、最後の一人の死出の旅路を飾るくらいは、まあよかろう」
「死出の旅路って。ひどい言い方!」

エアリスが頬を膨らませる。
だが否定はしていない。つまりはそういうことなのだ。

エアリスの目的が達成されたとき、彼女は死ぬ。その姿を、彼女は仲間たちに見せたくない。
だから決して、追いつかれるわけにはいかない。

「お前は真に幸運だ。もしヴィンセントの内にあったのが”私”でなければ。他の何かを喚んでいれば、お前の旅はここで終わっていた」

ため息でもつくように目を伏せたヴィンセントの姿がぶれる。赤い光が舞うともに幻のごとく黒い翼が羽ばたいて、白皙の男は見る間に黒翼の悪魔へと変貌した。

「娘よ。我が名はカオス。星の終わりに於いて全ての命を刈り取るもの」
「カオス……」
「死を与えることしかできんが、その与え方には裁量権がある。そう考えれば、今のお前には相応しい供だろうよ」

差し出された悪魔の手に、エアリスはそっと自らの手を委ねた。

「……優しいね」
「馬鹿を言え。星の眷属ウェポンに感情などという余計な機能はない」

月光の下、その腕に最後の古代種を抱え飛び去る悪魔の姿を、目にしたものはいなかった。

 

 

***

 

 

空が薄らと明るくなりかけた頃、それは戻ってきた。
魔法の影響は消えていたが、村はいまだ眠りに沈んでいる。音もなく降り立った悪魔は赤いマントを纏った男へと姿を変え、開けっぱなしの窓を乗り越えて宿の一室へと滑り込んだ。
同室者を起こさないよう、音と気配を殺したまま装備を外し、全てを眠りにつく前の位置へと戻す。ヴィンセントは用心深い性質だが、身体を共有するカオスにとってはそれらの癖も既に見慣れたものだ。ブーツを脱いでベッドにもぐりこめば、何も証拠は残らない。
カオスが内から少し干渉してやれば、ヴィンセントにとって最も新しい――この夜の記憶はかなり曖昧になるはずだ。何か良くない夢を見た程度の印象に収まるだろう。カオス自身は好まないやり方だが、それがあの娘の最後の頼みだった。カオスにはどうしても理解できない感情というイレギュラーのことを加味すれば、おそらくそれが最も良いのだろう。ヴィンセントはとにかく自罰的な傾向がある。

あの娘が何を起こすのか、それからどうなるのか。未来さきは誰にもわからない。
星だけは、あるいは全てを見通しているのだろうか。星の眷属ウェポンたる己がなぜだかこうして人の身に封じられ、あの娘を戦いの只中から贄の祭壇へと運ぶことまでもが、星の思し召しであったのだろうか。
――何も知らぬことにおいては、ヒトも星の眷属ウェポンも変わらぬな。
カオスは目を閉じた。夜が明けきり彼女の不在が知れるまでの、つかの間の眠りに身を委ねる。

母なる星よ。役目を遂げし者が還るとき、せめて安らかであらんことを。

星の道具たる分際で、祈りとは。
我ながら短い間にずいぶん感化されたものだ。自嘲しながら、カオスは意識の下へと戻っていった。

 

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