秘された花
書類仕事を大の苦手とするザックスが自分のデスクにほとんど居つかないことは、ソルジャーフロアでは有名な話だ。気安い性格である彼は、ソルジャー1stというトップクラスの実力者でありながら気軽に頼み事を請け負ってくれる貴重な存在として一般兵や社員から探されていることが多くあり、その主な出没先はひそかにリスト化されて出回っているという説さえある。
最近になって、そのリストに追加されるべき場所は一つ増えた、らしい。情報が不確定なのは、その部屋に入れる者が非常に限られているせいだ。
当人とも親しいとある情報通の話によれば、それはなんとあのセフィロスの執務室だという。
「実は、俺のカノジョがさ。ヴィンセントに会ってみたいって言ってるんだけど」
「お前の――恋人が?」
革張りのソファーの上で照れたように笑うザックスに、ヴィンセントは思わず怪訝な声を返した。ザックスは嬉しそうに大きく頷く。
部屋の主は不在だとは言え、まったくもってソルジャー1stの執務室で行われるような話ではなかった。コーヒーの紙コップを手に我が物顔でくつろいでいるザックスに対し、ヴィンセントは自分に与えられたデスクで資料作成の真っ最中だ。
ザックスの、恋人。ヴィンセントはキーボードを叩く手を止めた。それはつまり、エアリスのことであるはずだ。
”以前”の記憶が混ざらないよう、ヴィンセントは慎重に現時点での情報を思い起こす。
曰く、スラムに住んでいる女の子。花を育てている。笑顔がとてもかわいい。そんなところだったろうか。古代種という彼女の特殊性に関する話題は、タークスの監視が付いている件も含めて、まだ何も出ていなかったはずだと結論付ける。
「一体、なぜだ? 何かおかしな話でもしたのか、ザックス」
「違うって! 俺にもよくわかんないんだけど、なんかさ。お礼が言いたいんだって」
「……礼? 見ず知らずの私にか?」
ヴィンセントは眉を寄せ、首を傾げた。普通に考えれば、会ったこともないエアリスからヴィンセントが礼を言われる理由など何もないはずだからだ。
だが彼女が普通ではないことを、ヴィンセントは知っている。”以前”において恋人たるザックスの運命を何も知りえなかったはずの最後の古代種が、まさかヴィンセントという世界のイレギュラーに対しては、何かを知るとでもいうのだろうか。
訝し気に考え込むヴィンセントを見、慌てたようにザックスが口を開く。
「ええと、ちょっとフシギなところはあるけど、絶対イイ子なのは俺が保証するし! そんなに時間もとらせないと思うからさ、どう? あっそうだ、ついでにメシ奢るからさ!」
まさに周囲から子犬と評される風情で急にご機嫌取りを始めるザックスに、ヴィンセントはくすりと笑いを洩らした。
エアリスが何を告げたいのか、今のヴィンセントにまったく予測はつかないが、彼女の人柄からすればおそらく悪いことにはなるまいと判断する。
「……何も心当たりはないが、会うこと自体は構わない。私も、うちの子犬がいつも世話をかけていて申し訳ないと一言挨拶しておくべきかもしれんしな」
「ナニソレどういう意味よ?! ――まあいいや、んじゃ急だけど今日の終業後でもいい? 案内するからさ」
「わかった」
突発任務も多いソルジャー部門では先の予定は立てにくいものだ。ヴィンセントが穏やかに了承すると、ザックスは晴れ晴れとした顔でコーヒーを飲み干した。
***
伍番街スラムの外れにある古びた教会は、”ヴィンセント・ヴァレンタイン”にとっても思い出深い場所だった。
だがその周囲は瓦礫ばかりだった記憶の光景とは全く違い、スラムらしい活気に溢れた人家と街路の形をいまだ保っている。
ザックスに促されて扉をくぐったヴィンセントは、おそらくプレートが建つより前からここに在ったのだろうと思わせる堅牢な前時代の建築様式を興味深く見渡した。正面の奥、穴の開いた屋根から差し込む光の下に、栗色の長い髪を結った女性が立っている。
ヴィンセントはほんの一瞬、ぎくりと身を強張らせた。花畑に佇む彼女の姿に、なぜか白衣の女性の面影が重なって見えたのだ。
「おーい、エアリス!」
ヴィンセントの様子にはまったく気づかなかったらしいザックスが手を振って声を上げ、彼女がこちらを振り返った。改めて見たその姿は当然ながら、まったくルクレツィアには似ていない。そのことに、ヴィンセントは安堵をおぼえた。
嬉しそうに駆け寄ってきた彼女が、長い髪を揺らしてヴィンセントを見上げる。
「はじめまして。わたし、エアリス。エアリス・ゲインズブール」
「……ヴィンセント・ロックハートだ」
まるで花が綻ぶような笑顔の印象は、ヴィンセントの思い出の中のエアリスと寸分たがわない。だがその姿はヴィンセントが知っていたものよりも幾分か若いものだ。エアリスはティファより二つほど年上だったはずだが、纏う雰囲気のためか時折無邪気な少女のようにも見えていたことを、ヴィンセントは懐かしく思い出した。
見つめ合うエアリスとヴィンセントを、ザックスが訝しげに見やる。
「えっなに? どういう関係?」
「――初対面だが?」
「もう、ザックス! じゃま!」
茶化すザックスにヴィンセントはため息をついた。エアリスがむっとした顔で向き直る。
「そうだザックス、お花のお水汲んできて!」
「えー! なんで今!」
「力仕事、得意なんでしょ。ソルジャーさん?」
あからさまに追い払われたザックスが、ぶつぶつ愚痴をこぼしながらも素直に奥へと向かう。
困惑しながらも無表情のままそれを見送るヴィンセントに、彼女は一瞬のためらいを見せたのち、切り出した。
「あのね。突然なんだって思うだろうけど……ありがとう、ヴィンセント。ザックスを……帰してくれて」
「――どういう意味だろうか」
ライフストリームを思わせる、底知れない翠の瞳は真剣だった。
襲い来る内心の動揺などちらとも見せずにヴィンセントがそう返すと、エアリスは困ったように少し眉を下げて笑った。
「理由、わたしにもよくわからないんだ。ただ……この間の任務から帰ってきたザックスを見たときに、ね。本当はこうなるはずじゃなかったんだって、すごく感じたの」
「…………」
「ザックスは、本当はもうわたしのところへは帰ってこないはずだったんだって。そしてそれが変わったのは、あなたのおかげだって。……会ってみて、少しだけわかった。わたし、ヴィンセントみたいな人、初めて会ったかも」
「――君は一体」
「わたしはね、古代種。その最後の生き残りなんだって」
「……古代種」
眉をひそめたヴィンセントに、エアリスはこくりと頷いた。
「知ってる?」
「……星命学の本で単語は見たことがある。失礼ながら、今も生き延びていたとは、知らなかったが」
「純血じゃあないの。だから、別にすごい力とか、全然ないんだけど」
俯いて呟くその言い方からは、エアリスが古代種という名の過大評価に迷惑をこうむっている様子がありありと伝わってくる。
当人にしてみれば確かにそうなのだろう。彼女が自覚していたのは既に死した魂の声がかすかに聞こえる程度の能力だ。古代種に伝わっていたはずの口伝は母イファルナの死で途絶え、神羅が求める約束の地のことなど彼女には何もわからない。
だが、他でもないヴィンセントだけは知っている。
約束の地のことなど何も知らなかった彼女が、それでも、本物の最後の星の巫女であったことを。
――それゆえに、若くして凶刃に倒れたことを。
「その、ごめんね? 突然こんなこと言われても、わけがわからないよね」
無言の間を悪い方へと解釈したのか、エアリスはまた困ったように笑って謝罪を述べた。
ヴィンセントは静かに首を振る。
「ああ、いや。――礼を言われるような心当たりは特にないが、君が満足したのなら、それでいい」
「ありがとう。やさしいね」
エアリスの言葉に、ヴィンセントはもう一度首を振った。
「彼は例えそうなっても、君の元へと帰ろうとしていた。――私が言えるのは、それだけだ」
「……それって」
翠の目を見開き何か言いかけたエアリスを、ヴィンセントは唇に指を立てて制した。背後の扉の向こうに、隠れた気配を感じ取ったためだ。おそらく監視のタークスだろう。
「いつも、監視が?」
「さっき買い物頼んで追い払ってたんだけど、帰ってきちゃったみたい」
身体を傾けてヴィンセント越しに扉の方を見たエアリスが、不服そうに唇を尖らせる。彼女は何事もなかったかのようにくるりと身を翻し、教会の奥に向かって声を張り上げた。
「ザックスー! お水まぁだ?」
「今行くって!」
奥でタイミングを計ってくれていたのだろう、両手にバケツをぶら下げたザックスがのしのしと歩いてくる。エアリスは小さなじょうろを手に取ると笑顔で花畑へと走り寄り、楽し気にザックスを労った。
その心温まる光景を眺めるヴィンセントの背後へ、扉から滑り込んできた気配が音もなく近付いてくる。
「ザックスに用か。――それとも、まさか彼女か?」
「ノーコメントだぞ、と」
何も事情を知らぬふりでヴィンセントが問うと、ため息とともにレノが答えた。着崩したスーツの肩に、いくつかの食料品が入っていると思しき素朴な布のバッグを下げている。
木の床に足音を立てながらレノはヴィンセントの横を通り過ぎ、談笑するザックスとエアリスの元へと歩いて行った。渋い顔でエアリスにバッグを差し出しながら、タークスを使うなんざイイご身分だ、などとわざとらしい文句を言っている。
割り込むのも無粋な気がして、ヴィンセントは傍に並ぶベンチに腰を下ろした。
レノは明言を避けたが、ヴィンセントがたとえ本当に何も知らなかったとしても、その態度からして推測は難しくない。むしろ、これでは逆に知らせているようなものだとヴィンセントは目を細める。
現タークスは一体何を考えているのか。今や老獪なるヴェルドと、その指揮下に集う優秀な若者たち。そしてこの頃から既にタークスの忠誠を勝ち得ていたという、ルーファウス神羅。
顔を合わせるたび懲りもせずスカウト話を蒸し返すヴェルドが、どれほど親し気に見えても決して油断ならない人物であることをヴィンセントは知っている。かつての”ヴィンセント・ヴァレンタイン”と背中を預け合う仲だった時代ならともかく、この頃のヴェルドとタークスのことは、のちの資料にすら詳細は残っていなかった。だからこそ今のヴィンセントは、他の誰よりも彼の危険性を胸に刻んでおかねばならない。
彼らもまた、神羅の一部分なのだ。
ぱたぱたと近付いてくる軽い足音に、ヴィンセントは顔を上げた。ふわりと微かな芳香が漂う。
目の前まで来て微笑むエアリスが、紙に包まれた小さな花束を差し出した。
「今日は、来てくれてありがとう」
護衛さん、と屈託なく微笑むルクレツィアの面影が脳裏をよぎる。
ヴィンセントはその眩しさに目を瞬きながら、そっと花束を受け取った。
