【逆行物】短編集 - 5/5

翡翠の羽根

 

ニブルヘイムのロックハート家には小さなチョコボ厩舎がある。兄のヴィンセントが一時期、ブリーディングに凝っていたのだ。
兄は特殊な能力を持ったチョコボの産ませ方というものを聞き及んだのだと言って、ニブル山の向こうにまで足を延ばしてはカラブの実という珍しい飼料を狩り、ティファの知らないどこかからチョコボを捕らえてきては、粘り強くカップリングを繰り返していた。だが確証はないからと、あくまでひっそりと実行されていたその行動と意味を知っていたのは、兄からじかに秘密を打ち明けられていたティファだけだ。

「専門の牧場には、このためにチョコボの能力を見抜くスペシャリストがいるそうだ。こんな見様見真似では、確率などあってないようなものだろうな」
「すぺしゃりすと、って?」
「特定の何かにとても詳しくて上手な人、だ。……お前も、特技は磨いておけ。それは必ず身を助けるだろう」

七つも上の兄は整った顔に苦笑を浮かべて、ティファの頭を撫でてくれたものだ。
今にして思えば、大人の誰も知らなかったそんな知識を兄が一体どこから仕入れたのかという疑問はある。だが特殊な子など生まれなくともこの大型の鳥はいろんな意味で余すところなく役に立つ生き物だし、兄もティファも、結果的に毎日の世話を楽しんでいた。兄が動物相手には気を抜いた顔を見せることをティファが知ったのもこの頃だ。それはこの小さな厩舎でしか見られない特別な光景だった。
そうしてチョコボの世話がすっかり日常の一部となり、当初の兄のそんな話などティファがすっかり忘れかけていたある日、唐突に羽色の変わった雛が産まれたのだ。

「お兄ちゃん! この子、みどり色!」
「……ああ。山チョコボだな」

大喜びしているに違いないと思いながら見上げた兄が、なぜかショックを受けて凍り付いたような表情だったことを、ティファは覚えている。もっともすぐにいつもの顔へ戻って、はしゃぐティファを抱き上げてくれたのだが。
美しい淡翠色の羽を持つその雛に、ティファはスピカと名付けた。兄は、スピカが山チョコボと呼ばれる種類であり、その名の通り崖を駆け山を踏破する能力を持っているのだと教えてくれた。チョコボの脚に追いつけるモンスターは滅多にいない。つまりはまだ幼いティファでさえニブル山を楽に越えられるのだとも。
当時のティファにとって、ニブル山は空を遮ってそびえ立つ難攻不落の山だった。半信半疑の面持ちで翠色の羽をつつくティファに兄は笑いながら、スピカが成長したら真っ先に乗せてくれると約束してくれた。

チョコボの成長は早い。あっというまに大きくなったスピカの背に兄と二人乗りしてニブル山を越えた日のことを、ティファは生涯忘れないだろう。
荒れた山肌をスピカの蹴爪が力強く蹴り、寒々しい灰色の風景がものすごい速さで流れ過ぎていく。
魔晄炉よりさらに上の、道などない山頂から眺め下ろした想像外の鳥瞰の景色。そこを越えてロケットポートエリアに降り立つまで、ティファは抑えきれずずっと声を上げて笑っていた。
もっと幼かったあの日――ティファが死んだ母の姿を求め、ここが世界の果てとも思いながらさまよい出た恐ろしい山。それが、こんなにも簡単に越えられるものだったなんて。
山の向こうには、建造中のロケットとその発射台があった。その足元に作られた村に立ち寄り、ニブル山の魔晄炉よりも遥かに巨大で洗練された人工物を、ティファは生まれて初めてその目で見上げた。神羅の宇宙開発事業は新聞やテレビでも華々しく扱われており、ティファもこのロケットの話を見知ってはいた。だがやはりそれらと実物とは大違いだった。
ティファはこの日、世界がとてつもなく広いことを知った。自分が生きてきて知る範囲がどれほどちっぽけなものなのかを、強く強く実感したのだ。
そして、きっと兄はこのことをずっと前から知っていたのだろうとも思った。

 

 

だから、兄がミッドガルへ進学すると言い出した時もティファは驚かなかった。
やはり何事にもそつのない兄は一人であらゆる伝手を調べ上げて準備を終わらせており、ティファが応援したくともできることなど何もなかったほどだ。
兄がスピカは連れて行くと言ったので、ティファはスピカの親である番の世話を請け負うことになった。元々苦でも何でもないことだ。何なら自分でも、スピカに続く特殊なチョコボのブリーディングに挑戦してみようかとこっそり思っていたのだが――

「……スピカなしでニブル山を越えるのはやめておけ」
「なんでわかったの?!」

なぜか先に兄から釘を刺されてしまった。顔に出ていたのだろうか?
拳闘スタイルを得意とするティファは純粋な力量はともかくとして、飛行型の多いニブル山をソロで進むにはあまり向いていない。銃の腕が立ち気配察知に優れたヴィンセントと組んでいたからこそ、今まで山に入れていたのだ。自分でもそれはわかっていることなので、ティファは大人しく頷いた。
後に――兄がニブルヘイムへ帰ってきてから聞いたことだが、ミッドガル近辺のチョコボ牧場へと預けられたスピカは、山チョコボという珍しい特性からそれなりのブリーディング代を稼ぎ出していたそうだ。物価の高いミッドガルで生活費を工面するためにアルバイトに明け暮れていた兄は、随分と助けられたらしい。
その話から血統という新たな概念を知ったティファは、やはりスピカに次ぐチョコボが欲しいと、今に至ってもひそかに熱を燃やしている。

 

 

大学を卒業した兄がスピカとともに帰ってきてから二年。
元々のハンター業の傍らニブルヘイム唯一の診療所で研修中の兄は、そのままいつかは老医師の跡を継ぐものだと思われていた。しかし神羅から英雄セフィロスが魔晄炉の調査にやってきたあの日、そんなのどかな未来予想図は急展開を迎えた。
のちに兄が父へ説明したところによると、元々ミッドガルで兄には神羅の総務部からスカウトの話があったらしい。だが兄は、大学を卒業したら村へ戻るという進学時の父との約束を理由に、それを強硬に断っていたのだそうだ。セフィロスと兄はその際に知り合い、世話になったのだとも。
しかし今回の話は、そのセフィロスからもたらされた。ソルジャー部門へセフィロスの補佐官として兄に来て欲しいという、いわば英雄直々のスカウトだ。ヴィンセントの事情を既に知るセフィロスから、ニブルヘイムへは代わりの研修医を派遣するとまで言われては、父もそれ以上の不満は言えなかった。セフィロスのネームバリューとはそれほどに大きいのだ。とんとん拍子に話は進み、あっという間に兄は再びミッドガルへと移ることが決まっていた。
そこに、明らかにされていない何かしらの理由――英雄セフィロスのおそらく心身にまつわる事情が絡んでいることを知るのは、村ではティファのみだろう。

あの日、魔晄炉から出てきたセフィロスとザックスの様子は尋常ではなかった。まるで、触れてはならない禁忌に触れてしまった――そしてそのことを自覚しているといった顔だった。あれほど圧倒的な強さを持っている人たちが、明らかに何かを恐怖していた。そしてひどく傷ついてもいたように見えた。
そんな彼らに、一体中で何があったのかなんて、ティファは聞くことなどできなかった。
セフィロスはそれでも、部隊を率いる者として必死で冷静さを保とうとしていた。だが裏を返せば、今まで自然に行っていたはずの行動に対して目に見えるほどの努力を伴わなければならないほど、彼の狼狽ぶりは酷かったということだ。何かを焦るように帰途のモンスターを叩き斬るセフィロスの姿を、ティファたち部外者もクラウドたち部隊員も心配そうに見つめたが、やはり話しかけることなどできなかった。
状況が落ち着いた今だからわかることだが、あれこそが英雄セフィロスの抱える孤独の姿だったのだろう。英雄のことを思いやり、心配する人々は周囲に確かに居る。だが、そういった思いやりを持つ人々は概してセフィロスの英雄という立場を慮り、伝えることを躊躇してしまいがちだ。
そうして伝わらなかったものは、ないことに等しい。
誰かが、勇気を出すべきなのだ。
だから、ティファはそうした。ティファは魔晄炉に同行した中では、セフィロスに関して遠慮すべき立場を持たないほぼ唯一の完全な部外者だ。無礼を働いたとして、失うものは何もないのだから。

「――兄が! そういうの得意なので! ぜひぜひ連れてってください!」
「……ティファ?!」

おそらく兄だって、友人であるセフィロスをあの状態で放っておくつもりなどなかったに違いない。ただ、あの時のティファはどうしても、セフィロスをたとえほんの数分でも一人にしてはいけないと強く思ったのだ。一瞬たりとも、兄を家に帰らせる余裕などなかった。
突然のティファの提案をセフィロスが断る前に、ザックスが乗ってくれたのは天の助けだった。きっとザックスも同じようなことを感じていたのだろう。セフィロスと兄を引きずって宿へと戻っていったザックスは、あの太陽のような精彩をまだ欠いてはいたが、それでも隣のセフィロスに比べれば随分と自分を取り戻しているように見えた。
彼らを見送ったティファは残された一般兵二人と思わず顔を見合わせ、三人揃って大きなため息をついたものだ。

「……ありがとう、ティファ。俺、なんにもできなかった」
「俺もだ」
「ううん。私も、お兄ちゃんに押し付けただけだし」

セフィロスは、クラウドたち一般兵からもこうして間違いなく慕われている。だが階級があるがゆえに、彼らはティファよりもなおさら声を上げられなかったのだ。

「ヴィンセントなら、きっとなんとかしてくれるよな」
「出た。クラウドのお兄ちゃんに対する謎の厚ーい信頼」
「ティファだって、そう思ったからヴィンセントに任せたんだろ」

その後、クラウドは宿へ戻りにくい同僚を気遣って実家へと誘い、ティファもそこへ混じって意外と楽しい時間を過ごした。
だから当然、兄たちがその頃あの神羅屋敷を探索していたなんて皆知る由もなかった。夜も更けてから、埃まみれで家に戻ってきた兄の姿にティファは驚いて叫びを上げた。

「どうしたのそれ!」
「……いろいろあってな」

疲れた顔の兄は夕食に呼ばれていると言い、身ぎれいにしてもう一度出ていく前にそっとティファを呼び寄せた。

「なあに?」
「私がいつも言っていることを覚えているな。もし村に何かおかしなことがあったら――」
「――誰にも構わず、スピカに乗って一人で逃げる。……どうして今そんなこと言うの?」
「……さあ、どうしてだろうな」

小さくため息をついて立ち上がろうとする兄を、ティファは引き留めた。

「あのね、お兄ちゃん。どっちかというとその場合、一番危ないのはお兄ちゃんでしょ」
「私のことはいい」
「よくない! お兄ちゃんはいっつもそう。自分のことはどうでもいいみたいに」

ティファが何度そう言っても、この言葉は兄にはどうしても届かない。この時だってそうだった。兄はやはり、それがどうした、という涼しい顔をしていた。
ティファから見た兄は、常に他人のために生きている。母の代わりにティファを育て、この閉鎖的な村を繋ごうとする父に諾々と従い、山の見回りという危険な仕事をこなしながら村医者の立場まで継ごうとしていた。
だからこの仕事で、兄が同年代の英雄たちと対等に付き合い、その能力を賞賛されているのを目にしたティファは内心大きな衝撃を受けていた。
これこそが村に縛られない本来の兄の姿なのならば。
兄は、ミッドガルから村へ戻ってくるべきではなかったのだろうか?

渦巻く色々な思いをうまく言葉にできず俯いてしまったティファの肩を、兄の手が引き寄せた。
小さな頃から変わらない仕草でティファに耳を貸すよう示した兄は、辺りを憚るような声音でそっと囁いた。

「私には昔から、ひとつ大きな目的がある。言わば――自分はそのために生まれてきたのだと、最初から知っているんだ」

ティファは、おそらくは呆けた顔で兄を見上げた。

「全て、私がその目的のためにやっていることだ。知らぬ者からどう見えようと、そこは揺らがない。やり遂げるまでは決して、この命を捨てるような真似はできない。わかるかな――私はこう見えて、自分のやりたいようにやっているんだ。ずっと、昔から」
「……どんな、目的?」
「言えない。だがこのことを話したのはお前が初めてだ。秘密にしておいてくれるな?」
「……うん。約束する」
「ありがとう」

その時の兄の謎めいた言葉を、ティファは一言一句たがわず覚えている。だがどうしても、見上げていたはずの兄の顔は思い出せない。ただ、兄が語ったのは紛れもない真実なのだろうという根拠のない確信だけが、思い返すたび胸に重苦しく蘇るだけだ。
結局、兄が危惧していた何らかの危険が村へ迫ることはなかった。翌日になってからロックハート家にはセフィロス当人がザックスと共に訪れ、兄をスカウトする旨を父とティファへ丁寧に説明してくれた。
セフィロスはすっかり元の冷静な様子を取り戻していて、兄の進退よりもそのことにティファは安堵していた。彼の後ろでこっそりとザックスが親し気にサムズアップしてくれて、おそらく兄という薬はセフィロスによく効いたのだろうとティファは思ったし、ならばこれからのセフィロスにも兄は必要なのだろうと納得もしたのだった。

 

***

 

家の裏の小さなチョコボ厩舎で、ティファはスピカの世話に精を出していた。
セフィロスたち調査部隊は結局一週間ほどもニブルヘイムに滞在していたことになる。明日、兄はその帰路に同乗して旅立つが、今度はスピカは連れて行かないのだと言う。
つまりこれからはティファがスピカに乗り放題というわけだ。一応兄に聞いてみたところ許可が出たので、ティファは本格的にブリーディングへ手を出すべく燃えている。ついでに、そろそろ発射予定日が迫っているあのロケットをもう一度間近で見てみたいとも思っていた。それに物流の関係から、あの足元の村はニブルヘイムとは比較にならないほど品ぞろえがいいのだ。
兄のことはもうまったく心配していなかった。兄が流されているのではなく、自ら望んで道を選択しているのだと知ったからだ。兄とまた離れてしまうのは少し寂しいが、それだけだ。
できれば今度こそいつか大都会ミッドガルを見に行ってみたいものだが、最近とみに頑固になってきた父を説得するのは骨が折れそうだった。お前は可愛がられているのだと兄は言うが、やはりどうしても、少し鬱陶しい。
クェェ、とスピカが嬉しそうに鳴いた。この鳴き方は、兄が来たのだ。

「ティファ」
「なあに、お兄ちゃん」
「後でいいから、髪を切ってもらえるか」
「わかった」

さほど伸びているようでもないが、旅立つ前にすっきりさせておきたいのだろう。兄の艶やかだが独特な癖毛はまあまあ厄介で、短くし過ぎると跳ねるのに伸ばすとぼさぼさに見えてしまうのだ。その加減はやはりティファが一番うまい、と兄は言ってくれる。
クェックェッとスピカが身体を揺らして騒ぐ。期待に満ちた鳴き声に応えて、兄はその差し出された翠色の首筋を優しく撫でた。

「スピカ。ティファを頼むぞ」
「クェッ」
「ちょっと! 逆だよお兄ちゃん!」

ティファが思わず声を上げると、ヴィンセントは深紅の目を細めて微笑った。
妹として、ティファは兄の顔を世界で一番見慣れていると思っているが、それでも不意にこんな表情をされるとドキッとしてしまう。単純につくりが整っていることもそうだが――兄が意図的に表情を変えるのは、大抵何かを言い出そうとしている時だからだ。

「ティファ」
「うん」
「……ミッドガルで落ち着いたら、手伝いにお前を呼んでも構わないか」
「うん!」

予想外の兄の誘いに、考える間もなくティファはこくこくと頷いた。
ミッドガルへ行ける! そう思うと興奮が抑えきれず、落ち着きなくその場で飛び跳ねてしまったほどだ。兄がくすくすと笑う。
まだ準備があるのだろう、足早に家へと戻っていった兄を見送ると、ティファはスピカの首に抱きついて顔を伏せた。顔がにまにまと笑ってしまうのをどうしても止められない。
兄が話を通しておいてくれるなら、今度こそ父から強硬に反対されることもないだろう。父を一人残してしまうことは確かに心配なのだが、若いティファはどうしても、目の前にぶらさげられた大都会の魅力に抗えない。
それに、あちらにはクラウドもいる。二年ぶりに会った幼なじみは見違えるようにたくましくなっていて、ティファはほんの少し、胸によくわからない焦りをおぼえたのだった。別に特別な関係というわけではないが、また何年も会えないというのはやはり、寂しい。

「楽しみだね、スピカ」
「クエエ!」

明るい未来の予感にただ浮かれるティファは、この時まだ知る由もなかった。
スピカとのミッドガルへの道中、ヴィンセントに頼まれて軽い気持ちで寄り道した滝の裏の洞窟で、行き倒れた美しい女性を見つけることを。保護した彼女の素性と抱える秘密がのちにもたらす騒動と、明らかになる兄の”生きる目的”を。そして自身に訪れる、大きな喪失を。

その、未だ来ぬ時のことを。誰も、今は知らない。

 

送信中です