その晩シエラのシチューに舌鼓を打ったヴィンセントは、結局この家で三日間を過ごすことになった。
翌日、珍しく寝坊した彼がのんびりと出立の準備を整えていると、モンスターの群れがロケット村方面へ向かってきているという一報が入ったのだ。ロケット村にとっては、シドに加えてヴィンセントという戦力が留まっていたことは望外の幸運だった。英雄二人の活躍によって、暴走するモンスターの群れはわずか一日で鎮圧され、けが人の一人も出なかったのだから。
その次の日、今度こそ出立しようとしたヴィンセントを引き留めたのはシドの一言だった。
「お前、昨日の騒動の報告書、リーブに出すつもりなんだろ? 明日になりゃシエラ号でエッジまで一緒に乗せてってやれるぜ」
ヴィンセントは携帯以外の端末を持っていないので、どうしても報告書は紙の書類になってしまう。ヴィンセントは徒歩でも長距離郵便よりは速いが、今日ロケット村から徒歩で向かうよりも、明日シエラ号で出発した方が、当然エッジには早く到着する。
別に都市のWRO支所で誰かに言づけたとしても用は足りるのだが、この手の報告は早ければ早いほどいいのも事実だ。
ヴィンセントはしばし悩んだ末に、頷いた。そうして、降って湧いた三日目をもシドの家で過ごすこととなったのだ。神出鬼没のヴィンセントを三日間も引き留めることに成功したシドは上機嫌だった。
素通りしなくて良かった。ヴィンセントはハンモックから青空を見上げてそう思った。
モンスターの群れは、レベルと規模で考えればヴィンセントがおらずともなんとかなっただろう。だがシドは魔法が不得手だし、得物は近接武器だ。万が一がなかったとも限らない。それにおそらく、村への多少の被害は避けられなかった。
ああいった仕事に関しては、得物が長射程かつ魔法を連発可能なヴィンセントの方が明らかに向いている。
「お前、意外とそれ気に入ったのか?」
勝手口から出てきたシドが、テーブルにグラスを二つ置いた。一つはアイスティー、そしてヴィンセントのそばに置かれたのはまたしてもクリームソーダだ。
ヴィンセントが答えないでいるのを見ると、シドは笑いながら、ハンモックのロープを掴んでぐらぐらと力いっぱい揺らしにかかる。
「こら、よせ」
「揺れるもんだろ、ブランコはよ」
「ユフィならこの時点でギブアップだ」
「クラウドもな。何にだって向き不向きってもんはある」
ひとしきり反応を楽しんでからやっと手を離したシドは、椅子を引き寄せて座るとアイスティーに口をつけながら言った。
「ちょっとはくつろぎ慣れたかよ」
「おかしな表現だな」
「そうとしか言いようがねぇよ。お前も自分でわかんだろ」
ヴィンセントは鼻を鳴らし、身を乗り出すようにしてクリームソーダのグラスを掴んだ。
からん、とスプーンが音を立てる。
「私は元来怠惰な人間なんだ」
「お前が?」
「そうだとも。本当は明るくなっても気の済むまで寝ていたいし、そもそも面倒だから他人と関わりたくない。他人の都合なぞ考えたくない。他人に足を引っ張られたくない。特にやりたいことなどないし、あったとしてもぎりぎりまでやりたくない」
バニラアイスにスプーンを突っ込みながら次々とそう羅列していく男が、厭世的な顔の下で決して他人を見捨てられない人間なのだとシドは知っている。
つい昨日だってそうだった。突然降りかかったモンスター退治を即決し、率先して危険に身を晒したあげく、義務も無いのに後々のための報告書まで作るような男だ。
「……そうは見えねえよ」
「それでは生きていけないことを知っているから、最低限の社会生活はなんとかこなしているだけだ」
ヴィンセントは息をつくと、冷たい、しかしどこか茫洋とした目でシドを見た。
「だからなるべく”くつろぎ慣れ”たくない。あんたや皆が心を砕いてくれていることはわかっているが、そこで安らかに惰眠を貪ってしまったら、もう現実に戻れなくなりそうだ。――それでは棺桶の中にいるのと変わらないからな」
閉ざされた地下室の棺の中で後悔の悪夢に魘される眠り。それは生体改造に伴う後遺症と宝条による実質的な監禁だったのだろうが、ヴィンセントはそれを自身による現実逃避だったと位置づけているようだった。ヴィンセントが生来求めているのだと言う怠惰な生活と、なるほど共通項は多く思える。
だが。
シドはかつて、ヴィンセントのことを”性格的に向いていない仕事に対して適性がありすぎる”と評したことがある。逆説的に言えば、ヴィンセントは”他人に一切関わらず怠惰に寝て過ごしたくとも、結局それに耐えられない”のだ。棺桶の外の、世界の荒廃と人々の困窮を知ってしまった今となっては、なおさらに。
「……お前、何でも軽々こなせるみてぇな顔してるくせに、本当はすげえ努力してんだよなぁ」
「なんだそれは。また顔のことか」
「いやそこは例えだけどよ」
顔のつくりを褒められるのを好まないヴィンセントが嫌そうに顔を顰める。シドは頭を掻いて、ごまかすようにポケットから煙草を取り出した。咥えると、ヴィンセントがのそりと身体を起こす。
「ん」
「お?」
片腕を伸ばしたヴィンセントが指を鳴らすような動作をしたとたん、触れてもいない煙草に火が点いた。
「おーすげぇ、バッチリじゃねぇか」
「役には立ちそうにないがな」
マテリアの力ではない。それはガリアンビーストが持つ発火能力だった。
ヴィンセントがガリアンビーストをほぼ制御できるようになったころに、シドが雑談の中で何の気なしに言った「煙草に火を点けるくらいの芸当」をなぜかヴィンセントは真面目に練習していて、こうしてたまに成果を見せてくるのだった。仲間の中では魔法のコントロールに長ける方であるヴィンセントだが、ここまで小さな火を熾すというのは逆に難しく、その繊細な調整をものにするにはずいぶん時間がかかったようだ。
「狙撃で火を点ける方がよほど簡単だ」
どことなく不服そうにヴィンセントは言い、空になったグラスをテーブルへと置いた。
「どっちにしろお前にしかできねぇだろ、それ」
シドは苦笑し、うまそうに煙を吸い込んだ。
のんびりするのに良い日和だった。陽光は暖かにふりそそぎ、ささやかなそよ風が鳥の声を運ぶ。
漂う紫煙が抜けるような青空へと消えていくのを、男二人はぼんやりと眺めている。
「なぁ。またそこに、座りに来いよ」
独り言のようにシドは呟いた。
「いつだって空けといてやる。特別な飲み物だって用意してやるさ」
ハンモックに身を預けるヴィンセントを見もせずに。いつも通りの、からりとした明るい声で。
だから、とシドは言った。
「そのことを、覚えててくれ」
ヴィンセントは答えられないまま、ハンモックの中でただ静かに、瞳を閉じた。
