「アンタすごい食べるね」
「そうか?」
「んん、いや、成人男性としてはそんなもの……? わかんないや」
嬉しくってちょっと頼みすぎたかとユフィが思っていたルームサービスは、きれいさっぱりヴィンセントの胃の中へと消えた。自分の分は頼まなかったのだが、元気に飲み食いするヴィンセントを見ていたらなんとなくお腹がすいてきた気がして、ユフィは立ち上がり冷蔵庫を開けた。昨日のティファの差し入れがまだ残っている。
「ティファのスコーンあるけど食べる?」
「……いただく」
ヴィンセントはすばやくユフィの手元を見、スコーンの数を数えてから返事をした。ティファのスコーンは絶品だが、だからといってユフィの分を奪う気は毛頭ない。新しいカップを出し、備え付けのティーバッグを放り込んでから湯を注ぐ。ユフィの方にはスティックシュガーを添えた。
「ありがと!」
温めたスコーンの皿を持ってきたユフィがいそいそと座り、二人は変則的なおやつの時間を楽しむ。
「ユフィ、明日は暇か?」
「んぇっ何? あした?」
口の中のスコーンを飲み込んで、ユフィが目を瞬く。
「午後からなら大丈夫かな」
「WROのシミュレーションルームを使いたい。付き合ってもらえるか」
「模擬戦したいってこと?」
「そうだ」
「……いいよ。明日アンタがちゃんと目を覚ますんならね」
「随分信用がないことだ」
「当然でしょ!?」
ユフィの叫びにはまあまあ本気の悲壮感があったので、ヴィンセントはわざと軽く笑ってそれを受け流す。
「すまないが使用予約を頼む」
「おっけー。そういえばアンタのケータイ、やっぱ失くしちゃった?」
「失くしてはいないが、動かなかった。シェルクに預けてある」
「まあこの際に機種変した方がいいかもねー。……はい、予約取れたよ。一番大っきいとこね」
「感謝する」
「アンタが起きたっていうのはグループメール回してあるけど、あと個別に連絡取りたいとこある?」
「……あるにはあるが、どこへ連絡すべきか」
ここへ来る前に気づいたことだが、現在のヴィンセントはほぼ一文無しだ。持っているのはケルベロスだけ。
一年前の戦いの最中、エッジに多少の荷物は預けていたような気はするが、一年経ってもそれが保管されているかどうかは望み薄だろう。口座は生きているだろうからカードは再発行を頼めばいいのだが、そのために必要な身分証が死んでいる。これはヴィンセントが死亡扱いになっているという意味ではなく、エッジに住民登録をしていないのと定職についていないことから再発行が難しいという意味だ。ヴィンセントはあまりの面倒くささを思って眉根を寄せ、重苦しいため息をついた。
とりあえずはケルベロスを整備したい。が、それにすらそれなりの道具が必要だ。弾丸も補充したい。
ユフィに相手を頼むというのに、得物がWRO備え付けの量産品ではつまらない。
「……やはりリーブ、か?」
「ヴィンセントが何悩んでんのか知らないけど、まあなんとかしてくれそうな感はあるよね」
エライ人だし、と言いながらユフィがリーブのアドレスを呼び出そうとした途端、来客を知らせるベルが鳴った。
「誰だろ。はーい」
さっとユフィが立ち上がり、対応に出る。ヴィンセントがテーブルの上を片付けていると、その来客を伴ってユフィが戻ってきた。
「ヴィンセント、シェルクとケットだよ」
「こんばんは、ヴィンセント・ヴァレンタイン。お目覚めのようで何よりです」
大きなカバンを肩にかけ、片手に黒猫のぬいぐるみを抱えたシェルクがぺこりと会釈をした。
ヴィンセントの困り事は、どうやらリーブにはお見通しだったらしい。
この都市で最も重責を担う男にとっては些細に過ぎることだろうに、よく気が回るものだと心から感心しつつ、ヴィンセントはシェルクが差し出したカバンを受け取る。
テーブルの上に座らされたケット・シーが、訛りのない柔らかな男の声で話し出した。
「オメガ戦役の際のあなたの荷物です。回収して、WROで預かっていました。失礼ですが中身は確認させていただいてまして、多分お持ちでないだろうと思ったのでカードの類はこちらで再発行しました。以前の物は使えなくなってしまいますが、お持ちですか?」
「いや、ない。助かった」
本当に心底助かった。そう思ったヴィンセントは思わず真顔でケット・シーをぐりぐりと撫で回す。
「わっ、はは。あなたから受けた恩にはまだまだ程遠いですがね。それとお預かりした携帯電話ですが、損傷がありますしあのままの復旧は難しそうです。ただデータは吸い出せますので、新しい機種に変えてしまって構いませんか?」
「…………」
「そう嫌な顔をしないで下さい、ヴィンセント。皆あなたが心配なんです。やはり連絡先があるとないとでは安心感が違うんですよ」
そう言われてヴィンセントの脳裏に思い浮かんだのは、あの祠でほんの一瞬だけ光を灯した携帯電話の画面だ。
すさまじい数の着信とメールの履歴だった。行方不明のヴィンセントを探して、皆が一縷の望みを託したのだろうその件数。
「……返事は返せないぞ」
「最近のは既読がつきますから。返信は気が向いたときにしていただければ、それで。ではこちらで手続きしておきますね」
話を上手く運んだケット・シーは満足そうにヒゲを撫で――改まったように、テーブルの上で器用に正座をした。
「ヴィンセント。本題ですが、体調はいかがです」
「自覚症状は何もないな」
「あの祠には、どうやって?」
「訪れたわけではない。シエラ号が来る直前にあそこで目覚めた」
「でもアタシ、あの祠にはこの一年何回も行ったよ。ヴィンセントはいなかった」
ヴィンセントは驚いて、ユフィを見やった。
「あんなところまで?」
「……アンタを探してたんだもん」
ユフィは赤くなって俯く。
「クラウドさんのように流されてきたのでしょうか……。では、再活動し始めてまだ数日というわけですね」
「そうなるな」
「……ヴィンセント。やはり一度、きちんとした身体の検査を受けませんか」
意を決したようにケット・シーは言った。ヴィンセントの目がわずかに細められ、空気が張り詰める。中てられたユフィとシェルクが身を硬くした。
「今回の症状の原因もわからないのでしょう? 繰り返されないとも限りません。もし一人の時や、戦闘中に何か起きたら、いかにあなたとはいえ命に関わります。そればかりか、周囲にまで大きな被害を及ぼす恐れすらある」
「リーブ、言い方」
わざと他人を引き合いに出すその物言いをユフィがたしなめるが、ケット・シーは意に介さない。
「あなたが、あなたの身体から得られるデータの悪用を懸念していることはわかります。あなたがどれほどの傷を抱えるかを知ろうともせず、あなたの不老不死だけを羨む者が絶えないだろうことも。ですが」
黒猫のぬいぐるみが小さな手を握りしめ、叫ぶ。
「ですが、それはあなたの責ではありません! あなたがあなたを犠牲にし続けなければならない理由など、どこにもないはずです……!」
ヴィンセントが一年もの間生死不明――否、”死んでいた”のは、カオスを宿す者としてオメガの飛翔を止めるためにその命を懸けたからだ。世界は、最後の最後にヴィンセントの命で贖われた。
リーブは事件の陣頭指揮を執った者として、ずっと悔いているのだ。もっと早い段階で事件を止められていれば、と。
「一年前は、WROも、他の誰も――間に合わず、あなたを犠牲にして生き延びました。ですが不甲斐ない我々の元に、あなたはまた戻ってきてくれた。私は今度こそ、あなたに借りを返したいんです。もしあなたの身体に何か異常があるのだとして、データ流出を恐れるあまりにそれを知ることができず、もし、この先でそれが取り返しのつかないことになったとしたら」
眉一つ動かさないヴィンセントの前にケット・シーは項垂れ、耐えられません、と呟いた。
「WROを……私を、信用してもらえませんか」
無言のユフィから非難の視線を向けられ、ヴィンセントはため息をついた。
「……お前のことはとうに信頼している。だが、WROイコールお前ではなかろう」
「ですが今なら、WROは私のもとにあるんです。今ならば、私が全責任をもって、あなたに関する科学的データを全て破棄するとお約束します。……ヴィンセント。何ならこの命をかけてでも」
「それこそ、お前が犠牲になる理由などどこにもない。お前は生きていてこそ役に立つと、さっき証明したばかりだろう」
先ほど受け取った荷物を指し、ヴィンセントは呆れたように椅子の背もたれへ身を投げだした。
「わかった、検査を受けよう。データの破棄はお前に任せる。――二言はないな」
「もちろんです。ありがとうございます、ヴィンセント」
「お前が礼を言うようなことではない」
「やったね、リーブ!」
ユフィがケット・シーを抱き上げ、部屋の中でくるくると振り回す。
「わわ、目が回りますから! ユフィさん!」
騒ぐ二人をよそに、シェルクはそっとヴィンセントに囁いた。
「良かったのですか」
「仕方あるまい。脅されてはな」
「『受けてくれなければ死ぬ』ですか……」
「……稀有な人間だ、あれは」
ヴィンセントは立ち上がり、飲み物を淹れるべく新しいカップを取り出した。
あの祠からここに至るまで着々と整えられていく状況に、天の作為ともいうべきものを感じながら。
